EAST-WEST:ポール・バターフィールド・ブルース・バンドの傑作!

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今回紹介するアルバムは、アメリカの濃いブルースバンド、The Butterfield Blues Bandの名盤、“EAST-WEST”です。1960年代中盤に、強烈なインパクトを残した名盤について語っていきます。

目次 この記事の内容

  • マイク・ブルームフィールドとの出会い
  • ポール・バターフィールド・ブルース・バンドについて
  • EAST-WEST解説
  • その後のマイク・ブルームフィールドとポール・バターフィールド
  • マイク・ブルームフィールドの使用機材

マイク・ブルームフィールドとの出会い

不世出のギタリスト マイク・ブルームフィールド

筆者(tkd69)が、白人最高のブルース・ギタリストと呼ばれていたマイク・ブルームフィールドを知ったのは、かなり昔のギターマガジンの特集でした。

ホワイト・ブルースについての特集記事で、マイク・ブルームフィールドについて知った後、アル・クーパーとのスーパーセッションやら、フィルモアの奇蹟やらを聴いて、「こいつは凄いギタリストだ!」と思いました。

トーンとタイミングが別格で、気品すら漂うノートの使い方、気持ちいいチョーキング、全てが素晴らしかったのです。アル・クーパーと組んだスーパーセッションでは、レスポールを使ったクランチの絶妙さと、突発的なセッションにも関わらず、全てのインプロビゼーションに説得力があったのでした。

実は、マイク・ブルームフィールドは、ボブ・ディラン“Highway 61 Rivisited”にも参加していたので、詳しく知る前にギターだけは聴いていたことになります。そして、ここからポール・バターフィールド・ブルース・バンドを聴くことになるのです。

ぶっちゃけ言うと、黒人のブルースのレコード(個人的には好んでいる)は、白人のロックのように聴きやすくはありません。1950〜60年代のブルースのレコードの大半は、ヒット曲のシングルを集めたベストのようなものが多く、1曲ずつ聴いた方がいいような感じでした。

しかし、1966年に発表された、“EAST-WEST”は、ブルースをベースにしながらも、ジャズや東洋フレーズが含まれていて、抑揚があり飽きさせません。東洋フレーズと西洋フレーズを交互に混ぜた究極のインスト曲、”EAST WEST”を初め、単調なブルースのレコードとは一線を画しているのです。

1967年に発表されたロックの初のコンセプト・アルバムであるビートルズ“Sgt.Pepper’s Lonely Hearts Club Band”以前に発表されたアルバムです。初めてRock名盤解説でSGT以前のアルバムを取り上げることとなりました。

ポール・バターフィールド・ブルース・バンドについて

初期のポール・バターフィールド・ブルース・バンド

ポール・バターフィールド・ブルース・バンドは、ロックにおいても重要なバンドです。1965年のニュー・ポート・フォーク・フェスティバルにおいて、ボブ・ディランのバックバンドとして数曲演奏したのは、バターフィールド・ブルース・バンドでした。

このフェスティバルでのポール・バターフィールド・ブルース・バンドの演奏を見ていたボブ・ディランが翌日の自分のライブのバックバンドに指名したのがきっかけと言われています。

しかし、フォークのスターとして期待されていたボブ・ディランのバンド形態での演奏は、当時のフォークファンには不評でした。観客からブーイングを受けながらも、その後のディランとのツアーを続けたのは、後にザ・バンドと呼ばれることになるリヴォン&ザ・ホークスです。

同年8月の追憶のハイウェイ61のレコーディングに、マイク・ブルームフィールドが参加していることからも、当時のディランとポール・バターフィールド・ブルース・バンドの関係は深かったと思います。

ポール・バターフィールド・ブルース・バンドの結成は、ボーカル・ハープのポール・バターフィールドがシカゴ大学で出会ったギタリストのエルヴィン・ビショップと、1963年にバンドを結成したことから始まります。

当時としては、白人のフロントマンと、黒人のリズム隊という組み合わせはとても珍しいものだったと思います。ベースのジェローム・アーノルド、ドラムのサム・レイは黒人でした。オルガンにマーク・ナフタリン、そして1964年にマイク・ブルームフィールドがリード・ギタリストとして参加します。

黒人がリズム隊として参加している白人フロントマンのバンドとしては、オールマン・ブラザーズ・バンドがあります。ドラムのジェイモーが、ツインドラムの片割れとしてパワフルなドラムを叩いていました。

当時は、まだ黒人差別が色濃く残っている時代でした。そんな時に、音楽を通じて白人のバンドのメンバーとして活動しているというのは、とても印象深いです。黒人のリズム隊は、独特のリズム感があり、本物のブルーズを指向しているポール・バターフィールドには必須の要素だったのでしょう。

1965年にファーストアルバムである、“The Paul Butterfield Blues Band”を発表します。このアルバムは、ビルボードで123位でしたが、ブルースをカバーした力強い演奏に、当時のアメリカの音楽シーンに影響を与えました。

1966年7月に、ドラマーがビリー・ダヴェンポートに代わり、録音されたのがセカンド・アルバムの”EAST-WEST”になります。

EAST-WEST解説

出典 https://www.amazon.co.jp/

1曲目は、“Walkin’ Blues”で、デルタ・ブルースの巨星ロバート・ジョンソンの曲のカバーです。ポール・バターフィールドのソウルフルなボーカルに、轟くブルースハープ、マイクとエルヴィンのツインギターのバッキング、ジェロームとビリーによる躍動感のあるリズムと、聴き込むほどに好きになったスタジオバージョンです。

原曲のカン高い声と、卓越したテクニックのロバート・ジョンソンのアコギ弾き語りバージョンも捨てがたいですが、ウォーキン・ブルースで一番好きなのは、このアルバムのカバーです。

2曲目の“Get Out of My Life, Woman”は、R&Bに曲を提供していたニューオーリンズのプロデューサー、アラン・トゥーサンの曲のカバー曲です。1,2曲目の勢いのある曲から、3曲目に“I Got A Mind to Give Up Living”という作曲者不詳のスローテンポのブルースを持ってくるところが抑揚ついていていいです。

一転して4曲目には、“All These Blues”で再び勢いをつけて(この曲も作曲者不詳)、このアルバム最初のインスト曲“Work Song”は、有名なジャズのサックス奏者キャノンボール・アダレイのヒットナンバーをカバーしたものです。

ブルースロックのアルバムにジャズの曲のカバーというのは、かなり斬新ですが、マイク・ブルームフィールドは、後年(1968年)アル・クーパーと組んで作ったセッション・アルバム“Super Session”でジャズの手法であったセッションを大胆に取り入れています。この頃からマイクは、ジャズの要素やモダンな音楽の指向を強めていました。

ツインリードで、ジャズの曲を演奏するという当時としては衝撃的な曲で、右チャンネルにマイクのシングルコイルの煌びやかなトーン、左チャンネルにエルヴィンのES-335のメローなハムの厚みのあるトーンと、はっきりと聴き分けられるようになっています。

ここに、ポールのハープが絡んできて、8分近いインストを飽きさせません。マイクは当時ではあまりないペンタトニック以外のスケールを簡単に弾いていました。これは、デュアン・オールマンと比肩するほどのテクニックを、マイクが持っていたことを証明しています。

ロイ・ブキャナン、デュアン・オールマンといった当時のアメリカ最高のギタリストの中に、エリック・クラプトンが、マイク・ブルームフィールドを含めた理由はここからきています。

こういった卓越したテクニックのマイクのギターに対抗するように、ES-335の厚みのあるトーンでガンガン弾くエルヴィンのプレイも素晴らしいです。普通だったら、マイクに圧倒されて終わってしまうところですが、パワーのあるギターでユニゾンすらしています。

次の“Mary, Mary”は女性コーラスから入る曲で、ポールのハープと、太いボーカル、滅茶苦茶カッコいいバッキングに、最後のマイクのリードという何気に凄い曲です。これもなぜか作曲者クレジットはありません(笑)。


7曲目は、“Two Trains Running”で、このアルバムで一番ハジけた曲です。例によってノン・クレジット(いいのか?)です。8曲目のスローブルース“Never Say No”は、倦怠感のあるダルダルな曲で、ここから最後の目玉曲“East West”に入ります。

ぶっちゃけ、この曲は色々なロックの名曲と比較しても奇蹟のような曲といえます。筆者がこの曲を初めて聴いた1990年代でも、新鮮に聴こえました。作曲者クレジットは、マイク・ブルームフィールドとニック・グレイブナイテスです。

このニック・グレイブナイテスは、マイクの友人でシンガーでギタリストでした。インスト曲であるイースト・ウェイトにクレジットされているということは、この2人でジャムっていた時にできた曲であると推測されます(汗)。

クレジットにしっかり、エルヴィンとポール、マイクの3人のソロが含まれていることから、録音はいつものバンドメンバーで行われたのでしょう。マイクのギターは、とインドチックな東洋フレーズから、途中で挿入される西洋フレーズと縦横無尽に変化していきます。

もちろんエルヴィンも途中で何度かソロを交代しています。複雑なフレーズでのユニゾンなど、当時考え得る最高のツインリードといえる名演を展開しています。ぶっちゃけ、ここで重要なのはオルガンのマーク・ナフタリンのバッキングです。

ギタリストの2人はツインリードを展開していて、オルガンのコードがしっかりしていないと収拾がつかなくなってしまうからです。目立たないけど、マークがメンバーにいる理由がよく解ります。

ここでのポールのプレイは、ブルースハープだけでなく、カズーのような音や、いきなり参加するハープでのリードプレイなど多岐にわたっています。ただ、イースト・ウェストでの存在感は、やはりマイクにつきます。

途中でのメローな展開から後半におけるつんざくような怒涛のリードに、複雑なノート、スケール感の大きな曲にふさわしい、極上のトーンなど、これぞマイク・ブルームフィールド!といったギターがこれでもかと聴けます。

この時には後述する1954年製のP-90ピックアップのレスポール・ゴールドトップを使用していたようです。というのも、明らかにテレというよりは、P-90のレスポールのトーンだからです。

13分もの壮大な曲は、古いブルースとジャズやインド音楽の融合という、このアルバムのラストを飾るのにふさわしい出来でした。シカゴのシーンは、この曲に影響されたバンドが増えたそうですが、それも無理からぬことでしょう。

レコーディングは、1966年7月でシカゴのチェス・スタジオです。プロデューサーは、マーク・アブラムソン、ポール・アレン・ロスチャイルド、フレイザー・モホークといったエレクトラ・レコードの面々が並んでいます。

その後のマイク・ブルームフィールドとポール・バターフィールド

初期のバターフィールド・ブルース・バンド

イースト・ウェストと、ツアーによる名演の数々で、アメリカのみならず、イギリスにも影響を与えたポール・バターフィールド・ブルース・バンドですが、先進的なサウンドを指向するマイクと、ブルースをやっていきたいポールとの考えが合わなくなります。

1967年にポール・バターフィールド・ブルース・バンドを脱退したマイクは、エレクトリック・フラッグを結成します。しかし、エレクトリック・フラッグも短命に終わり、1968年にはアル・クーパーとのスーパーセッションと、フィルモアでのライブなどで一世を風靡します。

その後は、ソロ活動などをやっていましたが、1981年にヘロインの過剰摂取によって死亡します。まだ37歳の若すぎる死でした。

一方のポール・バターフィールド・ブルース・バンドは、マイクが抜けた後、エルヴィンがリード・ギタリストとして新たな境地に到達します。1971年に解散するまで、精力的にライブや、アルバムを制作し続けました。

ポール・バターフィールドは、その後ポール・バターフィールズ・ベター・デイというバンドを1972年に結成します。その後1976年にはソロ名義でアルバムを発表し、1979年には、ザ・バンドのリック・ダンゴとツアーをします。

しかし、1987年に腹膜炎の激しい痛みを鎮痛するために常用していたモルヒネの過剰摂取のため、死亡しました。44歳と、マイクよりは長く生きましたがまだ早い死でした。

マイク・ブルームフィールドの使用機材について

マイク・ブルームフィールドといえば、59年製 ギブソン・レスポール・スタンダード バターフィールド・ブルースバンド時代は、テレキャスターとレスポール・ゴールドトップ

今回、一番大変だったのが、マイクの使用機材について調べることでした。バターフィールド時代は、基本的に1963年製のフェンダー・テレキャスターです。ローズ指板でブロンドフィニッシュのこのギターは、ボブ・ディランの追憶のハイウェイ61のレコーディングにも使われていました。

マイクは、1965年11月に1954年製のギブソン・レスポールを手に入れます。このギターは、ゴールドトップのP-90を搭載したギターで、スタジオ・ミュージシャンのジョン・ヌースが持っていたギターでした。マイクはテレキャスターをヌースのレスポールと交換したとされています。

伝説のテレキャスターが、この後ヌースの手でシングルカッタウェイの片側がカットされました。これは、左利きだったヌースが弾きやすくするための改造だったそうです(涙)。

しかし、1966年7月のイースト・ウェストのレコーディングでP-90のレスポールの他に、テレキャスターのトーンが聴こえてくるので矛盾しています。ヌースに一時的に返してもらっていたのでしょうか?

エレクトリック・フラッグでも、同じ色のテレキャスター 使っている映像がありますので、ひょっとしたら違うテレキャスを買い直したのかもしれません。このゴールドトップも、1967年にダン・アールワイン59年製ギブソン・レスポール・スタンダードと交換します。

幻の名器と言われるほど、当たり年ながらも生産本数の少ない59年製レスポール・スタンダードのサンバーストと、54年製のゴールドトップではつり合わないと考えたのか、125ドルを追加して交換されました。このサンバーストが絶妙に褪色し、ブラウン・サンバーストになっている59年製は、P.A.Fを搭載したモデルです。

このギターは、エレクトリック・フラッグや、アル・クーパーとのセッションなどで、その後7年間マイクのメインギターとなり代名詞となります。間違いなく、59年製レスポールの伝説にマイクは絡んでいます。

ただ、マイクの知人の多くの証言からかなりギターはぞんざいに扱われていたようで、ケースに入れずに持ち運んだりしていて、所々パーツを換装したようです。アンプはフェンダーを使うことが多く、絶妙なトーンはレスポールとのコンビネーションで生み出されたものでした。

バターフィールズ・ブルース・バンド時代のテレキャスターは、なんとリペアマンになっていたダン・アールワインの元に現オーナーからリペアの依頼があったようです。色々縁があるというか、なんというか・・・。ただ、左利きだったヌースに合わせた改造やら、長年の経年変化でかなり傷んでいたようです。

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