デビルマン クライベイビー:原作の最後まで描いたアニメ版!

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今回紹介する作品は、Netflixの配信アニメ“DEVILMAN crybaby”です。永井豪原作の『デビルマン』は、人類とデーモンの壮絶な戦いとカタストロフィを描いた不朽の名作です。現代風にアレンジされたデビルマン クライベイビーは、本来の原作版デビルマンを凌駕出来たのでしょうか?

目次 この記事の内容

  • 原作と最初のテレビシリーズは別物
  • DEVILMAN crybabyのレビュー
  • クライベイビーという名前に込められたものとは?
  • 原作最終回まで描ききった佳作

原作と最初のテレビシリーズは別物

出典 https://www.netflix.com/jp/

「オレは、誰だ、誰だ、誰だ。オレはデビル、デビルマン、デッビールマーンー」というデビルマンのオープニング曲『デビルマンの歌』でご存知デビルマンは、1972年から1973年にかけて放送されたテレビアニメです。筆者の生まれる前の作品ですが、何度も再放送されていていたので、見ていました。

アニメのデビルマンは、デーモン族のデビルマン不動明の容姿を乗っ取って、人間の中に潜入していたものの、人間(主にヒロインの美樹ちゃん)を守るために戦うという「デーモン族の裏切り者のヒーロー」という逆説的な要素を持っていました。

とはいえ、人を守るために戦うデビルマンは、人間側からすると正義のヒーローであり、物語もどちらかと言えば1話毎にデーモンと戦うスタイルでとても分かりやすいものでした。

ぶっちゃけ、同時期に書かれていた漫画版『デビルマン』は、小学生当時は読んでいませんでした。しかし、10代中盤になると、名作との評価から読んでみたくなり、当時豪華版を持っていた友人に借りました。

そこに書かれていたのは、人類が持つ業そのものでした。人類を守るため、強力な悪魔である勇者アモンの体を乗っ取った不動明は、親友の飛鳥了とともにデーモン族と戦います。

デーモンは、氷河期に眠りについた地球の先住生物で、動物との合体能力を持ち、強力な超能力を持っていました。不動明は人間の持つ意思の強さと、アモンの強力な肉体と超能力を持ったデビルマンとして人々を守ろうとします。

そして、守るべき人類の本性がデーモンよりも醜いことを知り、苦悩します。最終的にはアーマゲドン(デビルマン軍団とデーモンによる決戦)によるカタストロフィが待ち受けているのです。

確かに、この壮大で残酷なテーマは、テレビアニメでは表現不可能だったでしょう。作者の永井豪は、同時並行で作った作品といっていますが、東映動画のアニメ版とほぼ同時期に描かれていることから、設定をある程度共有しつつも独自に展開した別物という評価は正しいです。

筆者はこの後デビルマンの完全復刻版、『バイオレンスジャック』全巻を揃えるほどの永井豪ファンになるのですが、それはまた別の機会に語りたいと思います。

しかし、その後のOVAだったり実写映画だったりは、全て原作の途中で終わっているか、失敗作ばかりで完全な映像化は実現しませんでした。今回のクライベイビー(ワウペダルではない)には、筆者も期待していたのですが、ネットフリックスに加入していなかったので、これまで視聴できませんでした。

DEVILMAN crybabyのレビュー

出典 https://www.netflix.com/jp/

ぶっちゃけ、ネットフリックスと契約したわけはありません。新しいJ:COMのデコーダーに変更した3ヵ月の期間限定で見れるので、前から気になっていたデビルマン・クライベイビーを全10話視聴しました(大汗)。

このクライベイビーは、ネタバレなしでレビュー不可能なので、ここからネタバレ全開です(大汗)。原作未読やまだこの作品を見ていない人は、気をつけてください。

冒頭で、幼い頃の不動明と飛鳥了が野良猫の死を痛んでいるシーンから始まります。感情が豊で泣き虫なのが不動明で、飛鳥了は表向き冷静に見えます。この場面は、終盤のあるシーンとの対比となります。

原作と違って、なぜか陸上部に不動明と牧村美樹ミーコが在籍しています。原作にはないアレンジとなっています。

原作の不動明も、序盤は弱々しい少年でした。そこを踏襲しているので、アモンの肉体を乗っ取った後の変貌とのギャップが凄まじいことになります(笑)。美樹の方は、現代風の健康美のある陸上少女となっています。ミーコって原作では中盤に出てきたキャラだったのですが、初めから登場しています。

そして、飛鳥了が不動明を車で教会に連れていきます。おそらく、サバトの場面だろうなと思ったら、やっぱりそうでした(笑)。そこで行われていた違法なパーティの中で、理性が飛んだ人間に悪魔が取り憑き、デーモンが人々を斬殺していきます。デーモンに襲われそうになり、明の理性が飛んだ時、飛鳥了がアモンの名前を呼びます。

そして明はアモンの体を乗っ取って、デビルマンとなり悪魔を次々を倒していきます。このあたりは、基本的に原作と変わらない流れとなっています。

2話以降に、クライベイビーの世界の中で昔流行していたテレビアニメのデビルマンを、美樹の弟の太郎がネットで見ているというシーンがありました。明と了がバイクの2人乗りでデーモンを狩りに行く時に、デビルマンの歌のテーマが流れるというのは、秀逸でした。

出典 https://www.netflix.com/jp/ バイク2人乗りでデビルマンの歌がかかるシーン

また、原作で登場した不良3人組は、現代風にラッパーに変更されていました。オープニング曲は、電気グルーヴのテクノっぽいアレンジの曲で、このラッパー集団が毎回、ラップで世相を皮肉っていきます。

悪魔狩りをしている最中に、カメラマンに写真を撮られた明は、了の調査によってカメラマンのスタジオに向います。明はそこで悪魔に襲われていた美樹を助け、目撃者として美樹を消そうとする了と対立します。

この場面は、シレーヌとの決戦前のシーンだったのですが、なぜか別シーンとして描かれています。デビルマンと言えば、バイオレンス描写と性描写ですが、序盤から2つの少年マンガと思えないような要素はフルスロットルで描かれています。

ネットフリックス配信だからこそ出来る過激な表現だったのだと思います。シレーヌが飛田新地のような場所で不動明ことアモンを誘惑するシーンなどは、クライベイビーならではのオリジナルです。

瀕死のシレーヌとカイムの合体、その直後の死などは原作準拠でした。ジンメンが明の父親が憑依された姿という設定で、サッちゃんじゃなくて母親がジンメンの甲羅に取り込まれていました。

ここは変更する意味ってあったのかと首を捻りました。逆に了の父親ではなくフィキラ教授というキャラが悪魔に体を乗っ取られた人物として登場しています。

アニメのオリジナル要素については賛否両論ありますが、現代的にブラッシュアップするための変更点だと思いました。ぶっちゃけ、大筋自体に変化は無かったのですが、この後の展開がかなり原作と異なるポイントがあります。

クライベイビーという名前に込められたものとは?

出典 https://www.netflix.com/jp/

原作で、明がデビルマンになるシーンを流されるのは、牧村家がテレビを見ているところでした。しかし、幸田というデビルマンが、先に全国中継とネットで悪魔の体への変身を晒されます。その後のデーモンへの恐怖により、人類が混乱し一気にカタストロフィへと向かうのですが、展開が異なります。

またミーコもデビルマンとなってしまいますが、原作のデザインとは異なりクモのような姿となっていました。太郎がデビルマンとなって母親を食べてしまい、父親が目撃し、銃で太郎を撃つのを躊躇っていると自衛隊に撃たれて死んでしまうという凄惨なシーンで牧村家の美樹を除いた3人は死亡します。

原作では、悪魔特捜隊(人間が作った悪魔を取締る組織)によって牧村夫妻は殺されました。人による醜い側面を描写したシーンです。

この後、不動明がデビルマンに変身するシーンを飛鳥了がリークしたことと、明を擁護する発言を美樹がSNSで発信したことで怒り狂った群衆が牧村家を襲撃します。美樹とミーコ、ラッパーと飼い猫は惨殺され、「地獄へおちろ!人間ども!」のセリフと共に、明は襲撃した群衆を殺戮します。

本来ならこのセリフは、牧村夫妻を殺害した悪魔特捜隊本部にていうセリフでした。しかし、ヒロインの美樹を惨殺された時に使うというのは、不動明が絶望の極地に達したのが、美樹を殺された時と捉えられます。つまり、明の感情が爆発した時に発せられた言葉として、このシーンで使うための改変だったと思いました。

ただ、この後のサタンとして目覚めた了から、デーモンとの同盟について持ちかけられた時に、人間を守ためにサタンと戦うというのは、とても納得できない点でした。なぜなら、原作ではここで完全に不動明は人間に絶望し、そのために黙示録では人類が滅ぼされたのです。

SNSでの美樹の呼びかけにより、デビルマンが不動明の元に集まるというのは、いいアイデアだし、現代社会を反映していると思います。しかし、原作での明は美樹を殺されたことで、サタンと対決するのです。現代性を重視するあまり、明の了に対する愛憎という強烈な動機の方が薄れてしまうのは、いかがなものかと思いました。

また、サタンが両性生物(両性具有)だったため、不動明を愛したが故に黙示録を生き残らせるために勇者アモンの能力を与えたというどんでん返しがありました。ここは、アニメではセリフで描写されていません。ただ、幼い頃の写真を見て和む様子や、最終回での感情を知ることが無かった了と感情豊な明との対比があるのです。

原作ではサタンが人間として生活したため、人としての弱さを知り、テレパシーでゼノンに伝え、作戦を実行していったのです。

アニメでは、このあたりの描写がちゃんとされていません。デビルマンの優れたところは、終盤での伏線の回収です。特に人類が自らを滅ぼしていくのは、人間として生活したサタンの恐怖からきているというのが、終盤に凄みを持ってくるのです。

つまりデビルマンという作品は、序盤からの伏線の回収と、明と了の愛憎というのが深いポイントなのです。この2つの部分は改変せずに、現代風にブラッシュアップするべきで、ここが一番惜しいところでした。

ただ、黙示録でサタンと不動明との一騎討ち(デビルマンとの合体も有り)や、最終回で悪魔特捜隊の場面が出てくるところなど、見所もありました。原作では、最終決戦(アーマゲドン)は俯瞰して書かれているので、たった数ページで終わってしまっていました。

しかし、最後のサタンと明が2人で星を眺めるシーンで、静かに下半身の無くなった不動明が死ぬところは同じなのですが、アニメではここでサタンが人としての感情を発露させるところが違います。


原作では静かに死ぬ不動明に、サタンが神と戦う経緯や、人類を滅ぼす動機などを語りました。そして、「力の強い者がつよいからといって、弱者の命を、権利をうばっていいはずがないのにな・・・。許してくれ、明・・・。わたしはおろかだった」というセリフの後、明は永劫の眠りにつくのです。

アニメでは、死んだ不動明に、悲しみについてサタンが叫ぶように問いかけるというシーンで締め括られます。天使長だったサタン(ルシファー)同様に神の軍団である天使の集団が降りてくるというのは共通していますが、静かに終わる原作とサタンが叫ぶアニメとでは赴きが多少異なります

昔からのファンは、ここを改変されたく無かったので、否定的な人がいるのです。クライベイビーとは、人のために泣くことの出来る不動明とも言えるし、最終回でのサタンの悲しみともいえます。

原作最終回まで描ききった佳作

出典 出典 https://www.netflix.com/jp/

今の時代にデビルマンをアニメ化するというのは大変です。特に原作が描かれた1970年代と2010年代ではあまりにも時間が経過していて、完全に原作通りにするのは不可能だったのでしょう。

また、クリエイターとして再構成してみたいという欲求があったのだと思います。名作の誉れ高いデビルマンなので、そういった意識が出るのは当然です。しかしながら、原作ファンとしては最後のシーンとセリフだけは変えて欲しくなかったというのが本音です。

監督は、『ピンポン THE ANIMATION』、『四畳半神話大系』などで有名な湯浅政明、脚本は『コードギアス 反逆のルルーシュ』、『ルパン三世 PART5』大河内一楼、アニメーション制作はサイエンスSARUです。

大筋を変えずに、原作の最後までやりきり、且つオリジナリティを入れるというのは、アクロバティックな作業だったと思います。1クール分より少し短い10話で描ききった点に関して、評価出来るので佳作と認定いたします。

色々言いましたが筆者個人は、デビルマン・クライベイビーを楽しめたのでネットフリックスの限定期間に見れて良かったです。原作バージョンのデビルマンを現代でアニメ化してくれたことに関しては脱帽です。

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