火の鳥:手塚治虫のライフワークは未完の名作!

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今回は、あえて完結していないマンガの名作について書いてみることにしました。完結マンガの名作シリーズに含めようかとも思ったのですが、手塚治虫のライフワーク、『火の鳥』の場合、どうしても未完になってしまうのと、作者の死で名作が未完のまま終わる場合があるので、今回は未完の名作として紹介させてもらうことにしました。

1954年の黎明編から始まったライフワーク

角川文庫版13巻201ページ 漫画少年版黎明編

火の鳥』は、マンガの神様、手塚治虫のライフワークであり、不死鳥火の鳥を巡る人間の業を輪廻転生をからめて壮大に描いた作品です。個人的な印象としては、テーマが深いので、悲劇が多く、初期SF3部作の名作『メトロポリス』に通じる手塚治虫のダークな部分、いわゆる黒手塚成分の多い作品です。

永遠に生き、その血を飲むと不老不死になるという火の鳥とは対照的に、猿田彦を初めとする我王猿田博士など輪廻転生によって、何度も生まれ変わるキャラクターがいます。これは、人間にとっての永遠とは、輪廻転生であるという隠れたテーマにも繋がっているのです。

一応、火の鳥は各編毎に完結していくスタイルです。筆者(tkd69)が所有しているのは、角川文庫版で、太陽編が角川出版社の刊行していた小説誌『野生時代』に連載されていたからでしょう。1989年に手塚が60歳で死去するまで、太陽編の次の大地編の構想を練っていたので、未完のライフワークと呼ぶのにふさわしい作品です。

太陽編で完結しているという考え方もできますが、現代を描いて完結するという作者の構想があったということなのです。手塚治虫にとっての火の鳥の完結が、現代編である以上、火の鳥は未完の名作であるというのは間違いのない事実です。

石ノ森章太郎の名作『サイボーグ009』が未完であるのと同じ理由で、作者の死によって完結しないというケースがあります。この場合、読者にとっては残念ではありますが、ライフワークとして各章で一区切りしていますので、中途半端に終わったイメージはありません。

筆者が投稿した、この記事の動画バージョンです。

火の鳥の連載が開始されたのは、今から65年前の手塚治虫が26歳の1954年に『漫画少年』で連載された黎明編からです。ところが、漫画少年自体が、連載開始してから1年後に廃刊となり、黎明編は途中で終了しました。1967年の漫画雑誌『COM』から黎明編は、連載を再度開始して、同年完結しています。

完結された編として最初に書かれたのが、エジプト編、ギリシャ編、ローマ編です。僕の所有している角川文庫版では、ギリシャ・ローマ編として13巻にまとめられています。文庫版では、この巻に漫画少年版の火の鳥が掲載されています。

『少女クラブ』に1956年から1957年にかけて連載された、火の鳥少女マンガバージョンとでもいうべき作品で、ハッピーエンドで終わっている唯一の火の鳥といえるでしょう。

壮大なストーリーとテーマ

1巻(角川文庫版)236P 猿田彦と妻のウズメのやりとり

火の鳥は、黎明編から壮大なテーマで始まっています。永遠の命とは、輪廻転生とは、人の営みの積み重ねである歴史とは?不死鳥であり、生命エネルギー(コスモゾーン)の塊で、太陽の化身である火の鳥は、絶えずそのことを問いかけてきます。

黎明編(COM版)では、イザ=ナギという少年が主人公になっています。ここに、邪馬台国の卑弥呼や、その弟のスサノオ(スサノオノミコト)、猿田彦(サルタヒコノミコト)、ニニギ(神武天皇)などの記紀神話と、歴史上の重要人物が登場します。

卑弥呼が死んだのは、西暦242~248年の間とされています。実際には、3世紀のことなので、神武天皇の東征とは大きく時期がずれるはずです。手塚治虫も、そういうことは充分に解っていて、わざと歴史的には正しくない時系列で、これらの登場人物を登場させています。

ぶっちゃけ、火の鳥に登場するヒミコは、老いを気に病む愚かな女性という感じです。英雄であるはずのニニギは、残忍な支配者としての側面が強く、悪役でしかありません。

ナギと養父の猿田彦の関係は、最初は仇という間柄でした。クマソの国に、ヤマタイ国の間者として、ナギの姉ヒナクの夫、グズリはやってきました。ヒナクとの結婚式の祝いの席で、クマソの住人を酒に酔わせ、ヤマタイ国の指揮官である猿田彦に攻撃のタイミングを教え奇襲攻撃によってクマソは敗れました。

しかし、グズリはヤマタイ国に戻ることより、妻であるヒナクと共にいることを選びます。そして、火山活動によって、グズリはヒナクと火の鳥の巣から出られなくなります。

一方、ナギは猿田彦によって狩人として育てられます。しかし、ナギはヒミコを暗殺しようとして失敗し、激怒したヒミコによって猿田彦は獰猛な蜂の巣に入れられるという拷問を受けます。この時に、後の我王や、猿田博士のように鼻が大きく醜くなるのです。ナギは猿田彦を救出し、クマソを目指します。

そこで、弓彦という狩人と出会いますが、弓彦は火の鳥をヒミコの依頼で狩りにきたといいます。猿田彦との戦いは、ナギの放った矢によって弓彦が負傷したことで決着します。

弓彦は、火の鳥を鉄の矢でしとめます。しかし、ヒミコは火の鳥の生き血を飲む直前に死にます。ヤマタイ国は、ニニギの東征による脅威に女王抜きで挑むことになります。そこに、戻ってきた猿田彦とナギによって、ニニギの軍勢との決戦が行われます。

1巻313P 黎明編の主人公ナギの死

数に勝るニニギの軍に、猿田彦と弓彦は死に、火の鳥の死骸を守ろうとしてナギも死にます。そのとき、火が死骸を焼くと、若鶏に生まれ変わった火の鳥が、炎の中から飛び去ります。

ニニギは、猿田彦の妻、ウズメは、お腹の猿田彦の子供とともに去っていきました。一方で、火の鳥の巣から初代のクマソタケルが命を賭けて外の世界に出ていきました。

黎明編は、まだ神話の時代といっていいほど、日本には歴史書のない時代の話です。魏志倭人伝に卑弥呼と邪馬台国の記述がわずかにあるだけです。記紀神話は、天皇家の正当性を強調するために作られた神話です。つまり、この時代の正確な歴史は、遺跡から想像するしかないのです。

手塚治虫は、ここにフィクションのダイナミズムを注入し、不老不死にとらわれたヒミコと、新しい国家を作ろうとするニニギを対比させ、古い時代の終焉と新しい時代の到来を描いています。

そこにナギや猿田彦のように、時代に翻弄される人々の儚さが、火の鳥の不死というものと対比され、無常観のような虚しさと生きることのダイナミズムを感じさせるのです。

2巻122P 核戦争で人類は山之辺と猿田博士、ロックの3人のみとなる

次の未来編では死ぬことの出来なくなった男の話で更に壮大なテーマが見えてきます。西暦3403年に、地球は核戦争で滅びます。唯一生き残ったのは、山之辺マサトという地球最後の都市、メガロポリスからの逃亡者でした。

マサトは、ムーピーのタマミという地球外の種族と恋に落ち、タマミの抹殺を命じられて、メガロポリスから脱出してきたのです。そして、生命の秘密を解き明かそうと擬似生命を研究している猿田博士とロボットのロビタに救われます。

核戦争が起きる直前に逃げてきたロックを合わせて、4人と一体のロボットが、一時的に同居しました。しかし、山之辺を生かすため、ムーピーの体を研究に捧げたタマミと、ロックによって破壊されたロビタ、放射能によってロックと猿田博士も死にます。

唯一生き残ったのは、火の鳥によって不死の体になったマサトのみでした。マサトは、一万年もの間、孤独に苦しみ、ロボットを作っては失敗し、さらに数千年かけて、合成生物を作ろうとします。

しかし、大地震によって試験管内の生命がすべて、失われ、悲観に暮れたマサトは、海に有機物を流します。そこから更に気の遠くなるような年月が流れ、マサトの肉体は無くなり、意識だけになってしまいます。しかし、生命は再び生まれ、ついには、恐竜を倒すほどに進化したナメクジが生まれました。

しかし、このナメクジの進化も人類同様に失敗し、絶滅します。再び類人猿から人類に進化し、とうとう人間の時代がやってくるのです。マサトは、宇宙生命である火の鳥の中に入り、タマミと出会います。そこで、再び黎明編の火の鳥の巣のシーンに戻るのです。

2巻189P 火の鳥によって猿田博士の輪廻転生がほのめかされるシーン

つまり、未来編は黎明編よりも先の時代ではなく、やり直す前の時代だったともいえるのです。ここで、火の鳥の世界はループしています。これは、人間の歴史そのものも、滅亡と再生を繰り返していることを示唆しています。世界中に残った洪水伝説や、オーパーツなどで、人類は過去に滅亡していたという説があります。

火の鳥の世界も、未来編で一度人類が絶滅してから、再び黎明編で新しい時代を繰り返しているのです。

輪廻転生を繰り返す登場人物

4巻224P 鳳凰編の我王

火の鳥は、全体を通じての主役ともいえる存在です。しかし、火の鳥は各章における観察者という役割が多く、時には積極的に介入することもありますが、あくまでも各章毎の主役や、登場人物が物語を動かしていきます。

ただ、各章に輪廻転生を繰り返し登場する人物がいます。黎明編では猿田彦、未来編、復活編の猿田博士、鳳凰編、乱世編の我王(乱世編ではテング)、宇宙編の宇宙飛行士の猿田、太陽編ではレジスタンスの指導者(おやじさん)などなど、最多の7編に渡って物語の重要な役割を担っています。


実際に主役として登場するのは、鳳凰編の我王のみです。我王は、奈良の大仏建立の指揮をとっている仏師の茜丸と対を成す存在です。隻腕の盗賊で悪人として振舞っていた我王が、生命の尊さを理解するようになり、仏師として才能を発揮するようになり、数々の仏像を彫るようになっていきます。

それに対して、貴族に見出され、彫刻家として栄華を誇るようになった茜丸は徐々に俗世に毒され、ついには鬼瓦勝負で我王に対して完敗したことを誤魔化すために、我王の過去の罪を糾弾し、貶めるのです。その結果として、二度と人間に転生できなくなりました。

我王は、1986年に公開されたアニメ映画、『火の鳥 鳳凰編』の主人公です。りんたろうが監督をした60分の劇場アニメでマッドハウスが制作しました。当時は、このアニメ映画のおかげで火の鳥といえば、我王のイメージになっていたのです。後のNHKのテレビアニメでは鳳凰編は作られていません。

宇宙編の宇宙飛行士の猿田は、牧村という宇宙飛行士(望郷編にも登場)に嫉妬し、赤ん坊になってしまった牧村を殺します。その罪によって火の鳥に鼻に出来物を作られ、醜い姿となる業を背負わされます。猿田彦や猿田博士、我王などのキャラクターの原罪が未来であるはずの宇宙編で描かれています。

つまり、宇宙編は未来編に繋がり、そこから黎明編でまたループすることが、はっきりと解るのです。時系列的には、宇宙編も未来編も過去ということになるのです(ループしているならそれすらも確定ではない)。

5巻316P 復活編で出会ったロビタと猿田博士(未来編にも登場)

また、ロビタというロボットが、未来編と復活編で登場します。しかし、ロビタは元はレオナという人間でした。人工的な外科手術により、無機物と有機物の区別がつかなくなり、チヒロというロボットに恋をし、死んだ後に記憶をチヒロのボディに移植されます。

肥大した人工知能の容量にため、チヒロのボディは大型化され、ロビタとなるのです。ロビタは、未来編でロックに破壊されるまで、猿田博士の助手として行動するようになります。

また、異形編に登場した八百比丘尼は、太陽編に名前だけ登場します。時系列的には、大きな狂いがありますが、時空を超えた蓬莱寺ならではというべき出来事です。

このように、輪廻転生を繰り返したり、人間からロボットになったり、時空の狭間に囚われて、時間を超えて登場したり、何度も登場するキャラクターがいるのも火の鳥の特徴です。猿田博士や、我王はその象徴で、人間にとって輪廻転生とは、幸福なことだけではないことが解ります。

歴史上の登場人物について

7巻150P 義経と弁太達に最期を看取られるテング(4巻の我王)

火の鳥は、SF漫画です。それと同時に、日本の歴史が中心の編もあります。黎明編、ヤマト編、鳳凰編、乱世編、異形編、太陽編(半分は未来が舞台)は歴史の流れの中で翻弄される歴史上の人物が出てきます。

前述した黎明編の他に、ヤマト編ではヤマト=オグナがヤマトタケルの命、川上タケルは、クマソタケル(初代は黎明編から引き続き登場)、鳳凰編の我王は、乱世編まで生き抜き(なんと400歳!)、テングとなって源義経と弁太(武蔵坊弁慶)の師匠として生涯を終えました。

太陽編の主人公、犬上宿禰は、大海人皇子(天武天皇)に協力し、壬申の乱に勝利をもたらします。おそらく、武内宿禰のイメージから生み出されたキャラクターだと思われます。

火の鳥の歴史キャラは、永遠の命とはかない人の生という対比を描くための、テーマに沿った手塚キャラとでもいうべき存在です。大まかな歴史上の人物の特徴をフックにして、手塚治虫なりのアレンジによって、時代に翻弄されていく人々をエネルギッシュに描いているのです。

宗教の扱いと戦争について

11巻120P 光教に洗脳されそうになる坂東スグル

火の鳥には輪廻転生が出てきたり、代表作の一つ『ブッダ』もあるので、一時期には仏教から影響を受けていることは間違いないとは思います。ただし、鳳凰編や太陽編での扱いから、仏教を盲目的に信仰しているわけではなく、宗教が権力と結びついたときに起こる悲劇をも描写しています。

つまり、仏教的な思想をベースにしながらも、民俗学やキリスト教などの要素も取り入れているのが、手塚治虫の宗教観なのだと思います。ブッダも、説教じみた作品になっていないし、エンターテイメントとして機能している作品です。

太陽編では、仏教は日本古来の妖怪や神々の敵として立ちはだかります。主人公の犬上宿禰は、妖怪達と共に戦います。一方で太陽編の未来世界では、光教が支配し、シャドーと呼ばれる人々を差別していました。太陽編は、7世紀と未来とが交互に描写されていきます。

坂東スグルは、犬上宿禰の生まれ変わり(おそらく子孫)です。シャドーのエージェントとして、光と戦ううちに、火の鳥を崇めているのが光教だということがわかるのです。そして、火の鳥は、光教にまったく関与していません。光教が本尊にしていた火の鳥は偽者でした。

12巻95P 火の鳥と犬上宿禰

時は戻って7世紀では、火の鳥と犬上が出会います。そこで火の鳥は、宗教による争いがいかに残虐で惨たらしいものか話すのです。人の心を救済するものが、権力と結びつたときの残忍さは、歴史が証明しているとおりです。太陽編では、宗教によって起こる戦争の醜さが描写されています。

太陽編の犬上は、頭が狼の姿から、最後は人間に戻ります。ヒロインである狗族の娘、マリモとは霊界と縁が消えたことにより、結ばれません。しかし、未来で坂東スグルがオオカミの姿となり、マリモの転生したヨドミがオオカミになってスグルと結ばれます。

ここの描写ははっきりしていなくて、2人は死んだようにも見えるし、生きたまま霊界に入ったから、過去世の記憶を取り戻したようにも見えます。太陽編は、完全なハッピーエンドではありませんが、ギリシャ編を除く他の各編よりも悲劇的な結末ではありませんでした。

ただ、レジスタンスや、大海人の皇子が、その後新しい宗教的概念を国の施政に導入しようとするなど、同じことを繰り返しています。形が変わっただけで、権力者が宗教を利用しようとする構造は変わらないのです。

『火の鳥』は、手塚治虫のライフワークにふさわしい、壮大なスケールを持っています。永遠の命と輪廻転生、核戦争によって滅びる世界と新しい世界のループなど、マンガで描くことの出来る限界に挑戦し続けた作品です。

クラークやハインライン、ブラッドベリのようなSFの巨匠の作品にも比肩する名作だと思います。特に黎明編と未来編のループから始まる(ギリシャ・ローマ編を除けば)のは、火の鳥の世界が広大であることをあらわしています。マンガの未完の名作は、数が少ないので、次回からは完結マンガシリーズに戻ります。

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