以前にもRock名盤解説で、Led Zeppelinは紹介しました。今回は誰もが認める名盤のLed ZeppelinⅣ(本来はタイトル無し)を取り上げました。ロックの名曲“Stairway to Heaven(邦題天国への階段)”などが収録されたこのアルバムにより、レッド・ツェッペリンは名実共に世界的な影響力を持つバンドとして認知されるようになるのです。
成功を収めたためのジレンマ
初期のレッド・ツェッペリン
Led Zeppelinは、本国イギリスよりもアメリカで先に成功したバンドです。これは、ヤードバーズ時代に培った、ジミー・ペイジの名声と1969年当時のアメリカのロックシーンの状況によるものでした。
ブリティッシュ・インベイジョンと呼ばれる、イギリスのバンドによる本国アメリカのシーンの席巻は、1950年代後半から1960年代前半において、アメリカのロックンロールが迫害されたことが要因の一つとなっています。
黒人が中心だったアメリカのロックシーンと比較して、イギリスでは白人の若者がロックをやり始めていました。ビートルズや、ローリング・ストーンズや、クリームなどのバンドがアメリカで大きな成功を収め、逆に黒人のジミ・ヘンドリックスは、イギリスに渡って成功するのです。
人種差別とそれに反対する公民権運動という当時のアメリカの時代背景が、ロックに及ぼす影響がありました。バカらしい話ですが、今でも人種差別やヘイトデモをする集団がいたりします(悲しいことに日本でも)。
The Yardbirdsは、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジの世界3大ギタリストが在籍していた偉大なイギリスのバンドです。ジミー・ペイジは、ジェフ・ベックが在籍していたときの1966年に加入したギタリストで、ジェフ・ベックが脱退してからは、そのままジミー・ペイジがヤード・バーズに残ったのです。
ヤードバーズは、ジェフ・ベックが脱退してからジミー・ペイジのカラーが強くなっていきます。しかし、メンバー同士の音楽性の指向の違いから1968年に解散してしまいます。まだヤードバーズとしての契約が残っていたため、レッド・ツェッペリンは最初の活動でニュー・ヤードバーズと名乗っていたのです。
そして、1969年にレッド・ツェッペリンとして、ファーストアルバムや、セカンド・アルバムのLed ZeppelinⅡとライブのパフォーマンスにより、レッド・ツェッペリンはアメリカのみならず、本国イギリスでもトップのバンドとして君臨することになったのです。
1977年のツェッペリンのライブより
ライブでのレッド・ツェッペリンは、ジミー・ペイジのヘヴィで独創的なリフと、ジョン・ボーナムのパワフルなドラミングに、ジョン・ポール・ジョーンズの多彩なベースと、ロバート・プラントのシャウトからハイトーンまでこなすボーカルによるパフォーマンスの高いバンドでした。
ところが、ここでレッド・ツェッペリンは、成功を収めたバンド故の苦悩にさらされます。既存の音楽的権威に胡坐をかく評論家からは、ボロクソに叩かれていたのです。今からは考えられない話のですが、あれだけ質の高いアルバムをリリースしていても、文句のいう輩は存在していたのです。
1970年当時のツェッペリンには、ハードロックバンドとして、過激さのイメージが先行していました。しかし、ツェッペリンには、激しいイメージとは裏腹に、繊細で芸術的な側面もありました。
Led ZeppelinⅢは、パワフルでダイナミックな演奏だけではないツェッペリンの豊富な音楽性を垣間見ることのできたアルバムでした。音楽性を追求し、アコースティックな曲を増やしたサード・アルバムレッド・ツェッペリンⅢの売り上げは芳しく無かったのです。
いわば、ハードロックの代表的バンドとして地位を固めつつあったレッド・ツェッペリンが更なる可能性を求めた結果が、タイトルの無い名盤であるフォース・アルバムとなったというわけです。レッド・ツェッペリンⅣは、2枚目までのハードな路線と、3枚目のアコースティックな音楽性の広がりを融合して出来たアルバムでした。
移動式スタジオセットと録音方法
アコースティックな曲でのライブ
レッド・ツェッペリンは、1970年12月ローリング・ストーンズから移動式スタジオセット(モービル・ユニット)を借り、ロンドンのアイランド・スタジオでレコーディングを開始しました。スタジオの使用料を気にすることなく録音できる場所として、レッド・ツェッペリンⅢから使っていたヘッドリィ・グランジでレコーディングすることにしたのです。
ヘッドリィ・グランジは、1795年にイギリスのハンプシャー州の救貧院として建てられ、19世紀後半以降は個人邸宅として活用されていました。持ち主を何度も転々とすると、1961年からは、宿泊施設として利用されるようになり、ロック・ミュージシャンの休憩所もしくは、スタジオとして使用されたのです。
プロデューサーでもあった、ジミー・ペイジはここでのレコーディングを気に入っていました。スタジオ・ミュージシャンとして長年作業しているうちに、スタジオ過敏症になっていたペイジにとって、リラックスして録音が出来るということが、その理由です。
ヘッドリィ・グランジでの録音には、思わぬ副産物がありました。ジョン・ボーナムのドラムの録音を、廊下の吹き抜けのある天井から2本のマイクを吊るして録ったのです。ドラムキットにオンマイクで録るやり方とは違った天然の音響効果(リバーブ)によるドラムの音はボーナムも気に入っていると後に語っています。
レッド・ツェッペリンⅣ解説
出典 https://www.amazon.co.jp/ レッドツェッペリンⅣのジャケット(表)
1曲目は、ノリのいいハードロックの名曲“Black Dog”から始まります。重いリフの繰り返しは、ジミー・ペイジらしいギタープレイといえます。リズム隊もしっかりとブラック・ドッグの怪しい世界に調和し、ロバート・プラントのハイトーンのボーカルが、1曲目から堪能できます。
ジョン・ポール・ジョーンズ、通称ジョンジーが、弾いたベースのリフを基にして、ペイジ、ボーナムを加えた3人の即興のかけ合いで出来た曲です。
2曲目もアップテンポの名曲“Rock and Roll”です。この曲は、ヘッドリィ・グランジでの偶発的なセッションで生み出されていて、移動スタジオの管理者であるイアン・スチュアートもピアノで参加しています。
3コードによるシンプルなロックナンバーですが、勢いのある曲で全員のメンバーの名がクレジットされています。ボンゾ(ジョン・ボーナムのこと)の叩いたドラムが、セッションのきっかけとなっています。
3曲目の“The Battle of Evermore(邦題限りなき戦い)”は、ジョンジーのマンドリンをペイジが弾いて、リフをその場で披露すると、プラントも合わせて歌い始めて作られたようです。歌詞はスコットランド紛争や、トールキンの『指輪物語』の一場面を想定して書かれたようです。
僕は、この曲がめちゃめちゃ好きなのですが、イギリスのフォーク歌手サンディ・デニーが参加してアンサー・ボーカルを録音しているため、ライブでは1977年に一度しかやらなかったようです。どことなくアイリッシュ民謡のようなテイストがあり、マンドリンが欲しくなってしまう危険さがあります(笑)。
そして、4曲目があの名曲“Stairway to Heaven(邦題天国への階段)”です。この曲は、発表された1971年当時から現在にいたるまで、ロックのスタンダードナンバーとしての地位を得ています。
12弦ギターと6弦ギターを使用することにより、厚みのある曲の構成を作ることに成功しています。ライブでは、ギブソン EDS-1275ことSGダブルネックを使って再現していますが、スタジオ録音ではアコギやエレキを複数オーバーダビングしています。
静かなイントロから徐々に盛り上がっていく曲です。冒頭のリコーダーは、ジョンジーが吹いています。ライブでは、ハモンドオルガンや、メロトロンなどでリコーダーパートを演奏したようです。
メンバー4人のシンボル
5曲目は、“Misty Mountain Hop”でミドルテンポのロックナンバー、6曲目の“Four Sticks”から7曲目のアコギ曲、“Going to California”に繋がります。最後の“When the Levee Breaks”は、ブルースのカバー曲です。実験的なレコーディング方法(前述のドラムの録音方法)や、革新的なエフェクト処理による意欲作です。
ツェッペリンのことを知らなくても『天国への階段』のギターは聴いたことがあるという人がいるくらい有名な曲が入っているだけでなく、ロックの可能性を高めた意義は大きいと思います。
ピンク・フロイドの”The Dark Side of the Moon”や、クィーンの”A Night At The Opera”に比肩しうる1970年代の偉大な名盤です。
筆者がツェッペリンで個人的に好きなアルバムは、プレゼンスとレッド・ツェッペリンⅡなのですが、Ⅳが最も知られているアルバムなのは間違いのない事実なのです。
ジミー・ペイジの使用機材について
ジミー・ペイジとギブソン レスポール・モデル
ジミー・ペイジの使用ギターとして、印象に残っているのは、いうまでもなくツェッペリン時代のギブソン・レスポール・スタンダードです。特にメインのNo1ギターと呼ばれているものは、1958年製(もしくは59年製)のチェリー・サンバースト(褪色してレモンドロップになっている)といわれています。
このレスポールは、1969年にペイジが、ジョー・ウォルシュ(後のイーグルスのギタリスト)より500ドルで入手したものです。レッド・ツェッペリンⅡのレコーディングや、1969年4月からのライブで使われました。
ジミー・ペイジは、他にも1973年に入手した1959年製のギブソン・レスポール・スタンダードのNo2ギターや、ワインレッドの1968年製レスポール・スタンダードなど3本のレスポールが確認されています。
次にイメージとして残っているのが、ヤードバーズ時代からレッド・ツェッペリン初期まで愛用していたフェンダー・テレキャスターです。1959年製のローズ指板のモデルで、ペイジによるドラゴンのペイントが描かれていました(ペイジは美術学校中退)。
1966年にフェンダー・エスクワイヤをメインギターに持ち替えたジェフ・ベックからもらったギターです。ペイジ自身の証言によると、天国への階段のリードはこのギターで弾いたようです(他のアルバムでも多用している)。1970年代のツアー中に友人にペイントされて、使いものにならなくなり、ネックだけを回収しました。
そして、1975年より使用している1953年製テレキャスターも印象に残っています。このギターに、前述のネックを取り付け、色をチョコレート色にリフィニッシュしています。Bベンダーも搭載されており、プレゼンスのレコーディングに使われています。
1970年から使用しているのが、SGのダブルネックこと、ギブソン・EDS-1275です。いうまでもなく、天国への階段などで使われています。他には、1964年製のストラトキャスターや、ダンエレクトロなどがあります。
ツェッペリン時代はマーシャルとレスポールの組み合わせが多く、1969年まではスプロアンプとトレブル・ブースターにテレという組み合わせです。様々なギターやアンプを使用していたペイジですが、レスポールとテレキャスを愛用しているギタリストというイメージが強いです。
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