太平洋戦争直前のゾルゲ事件について新たな資料が発見されました。1941年から報道機関への情報統制が行われていたことが内部文書によって明らかにされたのです。第二次世界大戦当時、日本は大本営発表という事実と異なる報道を繰り返していました。終戦時には、文書を焼却するなど、ありえないほどの証拠隠滅をしていたのです。
大本営発表という国家ぐるみの情報統制
1942年の大本営陸軍部による発表
1942年の珊瑚海会戦の戦果水増しから、いわゆる「大本営発表」は事実と異なる数字を公表していたといわれています。しかし、それより以前の1941年10月の『ゾルゲ事件』において、報道統制を行っていたということが、旧司法省幹部の残した文書から解りました。
リヒャルト・ゾルゲという旧ソ連のスパイが太平洋戦争直前の日本でスパイ活動を行っていたという罪で、1941年から1942年にかけて関係者が逮捕されました。ゾルゲに情報を流していたのは、旧ソ連の影響を受けたマルクス主義者である尾崎秀実や、西園寺公一でした。
政権の中枢に近いところにまで、ゾルゲとその諜報員らは影響力を持っていました。そのため、報道統制をし、世論を操作するという悪しき先例を作ってしまったのです。
そして、1941年12月に真珠湾攻撃が開始され、陸海軍合同の「大本営陸海軍部発表」、陸軍単独の「大本営陸軍部発表」、海軍単独の「大本営海軍部発表」がされるようになりました。
1942年の1月から、陸海軍の発表を統合し「大本営発表」と改められました。開戦当初は日本の戦況は有利なため、おおむね戦果報告の内容は事実に即したものでした。しかし、1942年5月の珊瑚海海戦は、日本は戦術的な勝利こそ得たものの、ポートモレスビー占領と、珊瑚海制圧を断念したので戦略的にはアメリカの勝利でした。
「サラトガ型・ヨークタウン型空母各1隻撃沈・戦艦2隻撃沈破、わがほう小型空母1沈没、飛行機31機未帰還」と大本営は、戦果を大幅に水増しして発表しました。実際には、アメリカ側の損害は空母1撃沈、空母1隻中破、給油艦1隻撃沈、駆逐艦1隻沈没、航空機100機損失でした。
横須賀軍港での祥鳳
珊瑚海海戦で問題だったのは、日本側の損害数です。翔鶴(空母)は大破し、祥鳳(軽空母)が沈没し、太平洋戦争で日本が初めて失った空母となりました。他には駆逐艦1隻、掃海艇数隻が沈没しました。また、航空機の損害は100機でした。
この海戦の影響で、翔鶴は3ヵ月修理を要し、第五航空戦隊は航空機を多数失い、瑞鶴(空母)も6月のミッドウェー海戦に参加できなくなりました。
これが、ミッドウェー海戦に与えた影響は大きかったと思います。ミッドウェーでは虎の子の空母4隻と重巡洋艦1隻を失い、駆逐艦1隻大破して日本は大敗しました。
加賀、蒼龍、赤城、飛龍の主力空母と航空機は289機損失という惨敗といっていい結果なのに、大本営発表では日本側の損害を空母1隻喪失、同1隻大破、重巡洋艦1隻沈没、未帰還機35機と事実と大いに異なる発表がされたのです。要するに、負けていたのに勝ったように見せかけたのです。
その結果、生き残った飛龍の乗員は病棟へと監禁されました。このような非道で恥ずべく行為を平然と行った当時の軍部の体質には反吐が出ます。
そして、1943年のレンネル島沖海戦や、ガダルカナル島の戦いでも事実を隠蔽し、戦果を誇張しました。1944年のレイテ沖海戦でも同様の手法が用いられました。しかし、クェゼリンの戦い~沖縄戦に至る大本営発表では、戦果の誇張はあったものの連合軍側(アメリカ側)が有利であることを示していました。
結局大本営発表は、終戦直前の8月14日まで続き、国民に戦果を過大に発表していたのです。その回数は、840回にも及びました。
文書焼却という暴挙
出典 http://ianhu.g.hatena.ne.jp/
日本は、敗戦が確定した1945年8月14日(いわゆる終戦の聖断)、日本にとって不利となる文書を焼却することを始めました。軍部のみならず、各省庁にいたるまで文書の焼却命令が出されていたのです。
阿南陸軍大臣や、林三郎秘書官や奥野誠亮事務官の証言が残っています。防衛庁(現防衛省)で1996年に発見された市ヶ谷台史料や、証拠文書焼却の命令書なども現存しています。
文書焼却は多数の証拠が示しているとおりの歴史に残る汚点です。この件で重要なことは、連合国側は当時アメリカ、イギリス、ソ連、中華民国、オーストラリアだったため、その内の中国が日本に来た場合の報復を恐れたということです(阿南陸相の談話より)。
日本は、中国において満州事変や南京大虐殺などの数々の暴虐を働いていました。朝鮮占領時の慰安婦問題など、アジア圏における近隣諸国との摩擦は、戦時中によって生まれたものであることは間違いありません。
よく証拠がないからこれらの日本が犯した国家ぐるみの犯罪はなかったという声を聞きますが、加害者が証拠を焼却した段階で、無罪の立証が出来るはずはありません。明らかに都合の悪いことを隠蔽した結果だからです。
戦後に生まれた筆者も、これは恥ずべき行為だと思います。当時の日本はアメリカと戦争するほどの軍事大国でした。その軍事力を近隣国家の支配のために行使した事実は、誤魔化しきれるものではありません。
焼却は、連合国側からの文書保存の命令がくる前に行われました。そのため、文書焼却で裁かれた例はないようです。
安倍政権下の公文書改竄と報道について
そして、戦後から73年経った現在では、安倍政権下での公文書の取り扱いが問題視されています。財務省から、森友や加計問題に関する文書が次々と改竄されていました。それだけではありません、自衛隊のイラク派遣や南スーダンのPKOでの日報においても、同様の文書改竄や文書廃棄などがまかりとおっていたのです。
普通に考えたら、これだけでも安倍内閣は総辞職ものですし、検察は関与した政治家、官僚を罪に問わなければなりません。日本はいうまでもなく法治国家です。行政のトップだろうが、法は等しく適用されるべきなのです。かつての文書焼却とも通ずる暴挙というべきでしょう。
この件に対する、各報道機関の論調も忖度があったように思えます。普通の民主国家なら、大規模デモが頻発して内閣が退陣していたでしょう。しかし、新聞もテレビも安倍政権と日本会議の関係を詳細に報道することもなく、責任の所在がはっきりと内閣にあることを明言しませんでした。
大本営発表と変わらぬ体質が、記者クラブ主体のメディアに残っているのが残念です。思い返せば、2011年の福島第一原発事故のさいも、同じような報道がありました。戦後から70年が経過して、戦争の記憶が薄れたせいで、箍が外れてきているのでしょう。
しかし、歴史の教訓から学ぶべき点があります。大本営発表や、公文書の焼却により国民からだけでなく、国際的な信用をも失ったことです。歴史は繰り返すといいますが、日本会議の息のかかった議員は、かつての軍国主義の亡霊ともいえる思想の持ち主が大半です。
安倍だけではなく、日本会議国会議員懇談会に参加している国会議員の落選運動を今から行い、まっとうな政治に戻していく必要があります。
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