前回の記事で、コーラスワークの上手いバンドについて紹介しました。今回は対照的にボーカルが下手でも味のあるバンドについて書いてみようと思います。
■うまいボーカル=いいバンドは成り立たない
僕の場合Rockを語る上で、ボーカルの上手さについてはスルーすることが多いです。ボーカルの歌唱力がある方がいいのは解るのですが、重要なのは、曲の良さや、バンドに合った雰囲気のボーカルであることだと思っています。
特にロックは、声楽の教育をきちんと受けていないアーティストが多く、フレディ・マーキュリーのように、うまいボーカルの方が稀な存在なのです。
しかも、作曲者がメインボーカルをするという法則が働くことが多く、バンドにメインのボーカリストが特にいない場合、楽器のパートを担当しながらボーカルをすることがあるので、ライブでマイクにちゃんと声が入らないこともあります。
カラオケや、歌謡曲などの好きな日本人には、この感覚が解らない人が多く、自分の曲をボーカルで褒められたりすると、どことなくズレているなと思ってしまいます(褒めてくれた人すみません)。逆にボーカルでけなされた場合は、まったく気にしません(笑)。
■J・マスシス、ダイナソーJr.のギタリスト
ぶっちゃけ、好きなミュージシャンの悪口は書きたくないのですが、Dinosaur Jr.のJ Mascisは、ボーカルが上手くないギタリスト(たまにドラム)です。ダイナソーJr.は、初期を除いて実質的にJ・マスシスのソロのようなバンドです。
J・マスシスのギターは、滅茶苦茶カッコいいです。うまいというより、泣きのギターが、なんとも切なく、轟音のギターリフも気合入っていて80~90年代のグランジ、オルタナバンドの中でもぶっちぎりで好きなバンドです。
しかし、ボーカルが実にへなちょこです。声量(パワー)が根本的に足りていないし(Jのギターの音がデカイのも要因)、ピッチもあやしくたどたどしいです。ギターの気合の半分でもボーカルに力入れろよ!とツッコミしたくなります。
ダイナソーJr.の場合、このボーカルの弱さはマイナスにはなっていません。轟音と、弱弱しいボーカルのギャップが、バンドの雰囲気にマッチしていて、叙情的にすら感じられるのです。
この黄金比?をナチュラルに表現できるJ・マスシスは凄いと思います。ロックとは個性を出した者勝ちなところがありますが、ダイナソーJr.のサウンドは、Jにしか構築できない世界があります。おすすめのアルバムは、”Without a Sound“です。
■ジミヘンのボーカルについて
Jimi Hendrixはいうまでもなく、ジミヘンの愛称で知られる偉大なロックギタリストです。以前のブログにもジミヘンについて書いています。ジミ・ヘンドリックスは、右用のストラトキャスターを左に持ち替えて、革新的なギターの奏法を確立していきました。
ジミヘンは、1960年代のギタリストとして、偉大な存在なのですが、ボーカリストとしての側面は意外に語られていません。僕個人としては、ジミヘンは、言われているほどボーカルは下手では無かったと思っています。
ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは、ドラムのミッチ・ミッチェル、ベースのノエル・レディングとの3ピースだったため、ジミヘンは、ギターを弾きながら歌っていました。
単純に、コードカッティングだけのギタリストと違い、オブリやリードなども一人でこなしていました。背面弾きや歯で弾くなど、パフォーマンスも重視していたため、ライブではしばしば、マイクから口が離れていたりしていたのです。
ジミの声質は、低めの男性的な声で、”Red House”などのブルーズや、ロックらしいシャウト系の曲を得意としていました。その一方で、声域(声のオクターブ)はあまり広くなかったので、高い声などは苦手としていました。
ベースのノエル・レディングがコーラスで、高い音域をカバーしていました。ただ、コーラスワークという点では、同時代のビートルズや、ザ・フー、CSNなどのバンドの方が優れていました。
ジミヘンのボーカルは、スタジオ盤ではかっちりと録ってあり、上手く聞こえます。ライブの時のギターに集中しているときに出るクセの強さのせいで、ボーカルが下手だと勘違いされています。
ジミは、ボブ・ディランの曲のカバーをするほど、ボーカリストとしてのボブ・ディランに影響を受けていました。ボブ・ディランの独特の歌唱法は、ジミヘンにとってのお手本だったのだと思います。
エクスペリエンスが、解散してから、黒人だけのバンド、バンド・オブ・ジプシーズを組んだり、再びミッチ・ミッチェルをドラムに迎えたりしていましたが、リードボーカルとギターを1人で担当するスタイルは続けていました。
ジミヘンは、ボーカリストとして、ギターほど卓越した技能は持っていませんでしたが、正当に評価されていないと思います。
■ロックは歌が下手でもオッケー?
ロックは貧しくて音楽教育を正当に受けていなくても、曲が書け、個性がきっちり出せたらスターダムにのし上がることの出来る大衆音楽の一種(ポピュラー・ミュージック)です。
オペラ歌手とは違い声楽を正規に訓練しているバンドは少なく、メインボーカルは、歌のうまさだけで決まるものではありませんでした。日本では、もの凄く勘違いされていて、ボーカルしか聴かない人が、歌のうまさだけでバンドを判断してしまっています。
もちろん、ボーカルがうまいにこしたことはないのですが、バンドの持つ音楽性に合う声であれば、うまくなくてもオッケーなのです。具体的な例だと、あまり歌のうまくない若い頃のエリック・クラプトンが、クリームの一部の曲や、デレク・アンド・ドミノスでメインボーカルしています。
パンクなどでは、ボーカルが下手な方が、オーディエンスに受け入れられるなど、歌を重視する日本人の感性では信じられないことが多いのです。
ミュージック・ステーションで日本のバンド、凜として時雨が、2015年にサイコパスの主題歌、abnormalizeを演奏したときに色々と叩かれていました。
ミュージック・ステーションで生演奏した結果、PAのバランスの関係で、コーラスである345の方がでかくなってしまったのが残念でしたが、バンド全体のパフォーマンスに問題はありませんでした。
演奏よりボーカルが前に出る日本の音楽番組の音響の方が、うまく調整できていない印象を受けました。生演奏ってそういうものだし、海外のバンドには、もっとボーカルが下手なグループいっぱいいます。
むしろ、生演奏の少ない番組で、ロックバンドらしくアテぶりしていない方を褒めるべきだと思いました。
ピストルズやクラッシュなどのパンクバンドは、ストレートに音楽をすることが重視されています。産業化したロックに対して、再び大衆のものに取り戻すムーヴメントなので、演奏のうまさは重視していません。
その一方で、パンクが台頭する1970年代には、レッド・ツェッペリンのロバート・プラントや、ディープ・パープルのイアン・ギランなどハイトーンのうまいボーカリストもいるのです。
要は、色々なアプローチが、バンドの数だけ存在しているということです。ビートルズのようにコーラスワークを重視するバンドもあれば、ザ・フーのようにメイン・ボーカルをしっかりと確立するグループもあるわけで、どれが正しいとはいえません。
ボーカルの上手い下手では、バンドの本当の実力は測りかねるのがロックの面白さであり、良さだと思っています。
Rockの関連記事はこちら
ピンバック: Rockのファルセット(裏声)で参考にした60年代のバンドについて | K.T Dogear+
ピンバック: ボブ・ディランとロックミュージシャンの関わりについて | K.T Dogear+