1980年代の最高のレースマンガといえば、しげの秀一の『バリバリ伝説』です。当時の週刊少年マガジンの看板マンガでした。筆者ことtkd69も、バリ伝を読むのが楽しみでマガジンの販売日を首を長くして待っていた覚えがあります。
鈴鹿4耐がメインの第1部
10巻46P 鈴鹿4耐決勝の最終ラップ
1980年代は、とにかくバイクが熱い時代でした。国内4メーカーが毎年のように新型マシンを販売し、街や峠にバイクが溢れていた時代、マンガでもバイクものが流行していました。
その中でも究極のバイクマンガといえるのが、しげの秀一の『バリバリ伝説』です。鈴鹿4耐から、国内の2ストローク250ccレース、そして最高峰の世界GPに参戦するという熱いレースマンガでした。
しげの秀一は、ひおあきらのアシスタントを経て、サンデーで一度デビューし、その後マガジンに移籍、1983年~1991年の8年間、バリバリ伝説を連載し、マガジンの看板マンガ家の1人となりました。近年では、『頭文字D』や、『MFゴースト』などのクルマ漫画が有名です。
筆者が投稿したこの記事の動画バージョンです。
ぶっちゃけ、バリ伝では鈴鹿8時間耐久レースで、主人公の巨摩郡は走っていません。第1部では、鈴鹿4時間耐久レースにエントリーしていました。4耐は、8耐の前座のような耐久レースです。
8耐には、国際ライセンスが必要ですが、4耐には国内ライセンスのみで参加できます。グンやヒデヨシ、ヒロにみいといったイチノセ・レーシングチームのライダーは、全員高校生でノービスだったので、この設定は当然だと思いました。
鈴鹿8耐のような耐久レースをメインにしていたのは、どちかというと新谷かおるの『ふたり鷹』の方です。バリ伝はスプリントレース、ふたり鷹は耐久レースという棲み分けがあります。楠みちはるの『あいつとララバイ』はストリートを、村上もとかの『風を抜け!』は、モトクロスレースを扱っているので、それぞれ特色が違います。
バリ伝も1巻から4巻までは、比較的ストリートがメインだったのです。グンの愛車は、名車と呼ばれたホンダ CB750Fで、筆者も街で見かけるたびに、「グンのマシンだ!」とはしゃいでいました(汗)。
4巻 128P ヒデヨシの刀VSグンのCB
グンの峠のライバル、GSX750S刀に乗るヒデヨシが、イチノセ・レーシングチームに参加します。熱く本能的な走りのグンと違って、クレバーなライディングスタイルのヒデヨシは、グンと違うタイプの天才ライダーでした。
金持ちのグンと違って、ヒデヨシは妹と2人暮らしの苦労人です。刀も、アルバイトで買ったマシンです。対照的でソリの合わない2人ですが、4耐ではコンビを組むことになります。
4耐では、スズキ GSX-R400(グンがホンダ以外のバイクに乗ったのはこれが最初で最後)で飛ばすグンに対して、ヒデヨシはマシンを労わり、耐久レースの走りをします。このコンビネーションを見破ったのは、ポップ吉村(ヨシムラの創始者)のみでした。
グンとヒデヨシの才能に嫉妬した高根沢の転倒に巻き込まれたヒデヨシは、マシンを押してグンにGSX-Rを渡します。そして、グンと浜松レーシングチームの松井は、トップ集団を追い上げていきます。バリ伝の様式美ともいえる追い上げスタイルは、すでに1部で確立されています。
グンのCB750Fについて紹介した動画です。
グンとヒデヨシは、4耐で優勝し、2人はいがみ合いを忘れ、友人として意気投合するようになります。しかし、なんでもないところで流して走っていた2人の前の車が起こした事故に巻き込まれ、ヒデヨシは死んでしまいます。
ぶっちゃけ、これは、2部からの250cc日本選手権への参戦の布石なのですが、作者によると、「主人公を喰う可能性があったから」ヒデヨシを死なせたようです。
しかし、2部や3部でヒデヨシの穴を複数のキャラクターで埋めようとしたことから考えると、ヒデヨシは頭文字Dの高橋兄弟のように、最後まで登場させた方が良かったのではないでしょうか?
スプリントレースは2部から
18巻 59P 天才メカニック島崎とグンのやりとり 左下はFZの太田
12巻から、グンの普段乗っているマシンが、NS400Rとなります。それと同時に、2ストロークの250ccレーサーホンダ RS250で国内B級ライダーとして、全日本選手権に参戦するようになります。
ここからが、バリ伝の第2部で真骨頂ともいえるスプリントレース編になります。そして、1985年当時の全日本のレーサーが登場します。ホンダのワークスライダー小林選手や、ヤマハの片山選手などです。
途中から出てくるチームメイトの荻野目や、ライバルとなる星野アキラなどは、オリジナルキャラクターです。そして、この章から印象的なのが、イチノセ・レーシングクラブのメカニックのFZ(400Rのオーナー)の太田です。太田は、市川監督が呼んできたメカニック、島崎と共にグンを支えていきます。
そして、2部からの特徴として、グンのカリスマライダーとしての雰囲気です。1部でも天才という描写はありましたが、国内A級ライダーでも習得できていない、2輪でのドリフト走行を武器に、コーナーでストレートに劣るマシンを追い抜いていきます。
ここから、グンは後年の頭文字Dの藤原拓海にも通じる、しげの秀一の天才像とでもいうべきキャラクターへと変貌していくのです。他のライダーや、プレスにも解らないことを高度なレベルでコメントしたり、ミステリアスな側面が出てきます。
当時の2ストロークレーサーは、今と違ってキャブの時代で電子制御がありません。タイヤの能力も現代と比べると低く、2輪で世界トップレベルのライダーは、スライド走行をしていたのです。
全日本のライダーのレベルでは、タイヤのスライドをコントロールできなかったのですが、グンが世界に挑むための布石として、第2部から会得していくようになります。
17巻 52P ド迫力のグンと星野のドッグファイト
ただ、あまりにも早い段階で、グンだけがドリフトをマスターしてしまい、ライバルが不在となってしまいました。そこで、14巻からヤマハの天才、星野アキラを登場させます。
星野アキラは早めにヤマハからワークスマシンYZR250を供給されるようになります。ホンダも対抗するように、NSR250を投入していきます。そして、性能ではプライベーターのRS250では不十分となり、天才メカニック、島崎が登場します。
島崎の作ったマシンはピーキーで、乗りこなせられるライダーがいませんでした。しかし、グンはシマザキ・スペシャルを駆り、筑波サーキットで星野を抑えて優勝します。こうなると国内では、ライバルといえる存在はありません。
そこで、オリジナル・キャラクターのカルロス・サンダーが登場し、最終戦の鈴鹿サーキットにスポット参戦するのです。カルロス・サンダーは、世界GP250ccチャンピオンで、500ccにステップアップし、ランキング3位につけている実力者です。
ぶっちゃけ、星野アキラでは役不足となったので、更に強力なライダーが登場してきました。しかも、サンダーに勝つことが、世界GPへの足がかりとなるので、盛り上がります。
圧巻なのが、20巻からの最終戦の鈴鹿です。レース前半から、ペースを上げ、後方のライダーを引き離していたサンダーに対して、グンはレース中盤から追い上げていきます。サンダーは、グンの走りが優れていることを認め、わざと抜かれて様子を見ます。
最終ラップの130Rで、サンダーがグンを抜き、もう抜くチャンスがないように思えました。しかし、130Rの出口で周回遅れがいて、サンダーが少しラインをイン側に向けました。それに対して理想的な体勢で出口をクリアしたグンは、シケインでサンダーと並びます。
21巻 58P 鈴鹿最終戦のラストラップの攻防
「フロントタイヤの接地点は、はげしく悲鳴をあげて、やはり、ちいさく、しかもはやいスライドを起こした・・・」というグンのライディングが奇跡を呼び、サンダーを抜いてチェッカーを受けるのです。グンは、全日本チャンピオンとなり、21巻から第3部の世界GP編へと舞台は移るのです。
ただ、しげの先生には申し訳ないのですが、ヒロインの伊藤歩惟とのラブコメは、レースの迫力と比較してうまくなかったです。80年代のサンデー漫画には、少女マンガのような繊細な感覚のラブコメが多かったので、よけいにこの分野での下手さが目立ちました。
ヒロインの歩惟に魅力がないというわけではなく、単純に見せ方の問題だと思います。本格的レース漫画なので、そこはマイナスにはなりませんし、男のキャラばかりになってしまうと、華やかさがなくなります。
世界GPを熱く描いた第3部
21巻 122P HRCの監督梅井
バリバリ伝説のアニメは、OVAで1部で終わっていたので、第2部と世界GP編は、マンガでしか読むことができません。しかし、この3部はバリ伝の中でも一番内容が深く、面白いです。現在のMotoGPの前身である世界GPの1年を描ききったマンガは、バリ伝3部だけだからです。
マガジンコミックス、21巻から最終巻の38巻までが、バリ伝3部です。1987年11月に21巻の初版が発行されていることから、10月には連載されていたことになります。最終38巻は、1991年8月に刊行されていることから、7月には連載が終了していたことになります。
ここから解ることは、4年近くにわたって、1987年のGPの1年間を描いたことです。途中で、新型のNSR500が登場しますが、それは劇中の時間を現実が追い抜いてしまったことを如実にあらわしているのです。
そして、1987年の現役ライダーでは、1986年のチャンピオンであるエディ・ローソンや、ホンダのエース、ワイン・ガードナーが登場します。他にもグンの良き友人となる、ロン・ハスラム(ロケットロン)や、マモラ乗りで知られるランディ・マモラなどの当時の一流ライダーがライバルとなるのです。
2部の最後で登場したサンダーもホンダの2番手ライダーとして登場するのですが、徐々に扱いが酷くなります(涙)。序盤からホンダの監督として登場する梅井が、いい味のキャラクターでした。表向きは、グンに対して厳しく接しているのですが、本当は相当のグンびいきです(笑)。
21巻からグンの愛機となるNSR500は、昨年の1986年型(タイプⅢ)です。150PSの最高出力に、車体重量130kgというモンスターマシンで、当時のタイヤの限界をすでに超えています。
2部のチーフメカニックの島崎が結成したサテライトチームから世界GPを転戦することになります。今でいうところの中上選手のようなポジションでスタートします。
欧米のプレスは、最初は日本から来た新人に型落ちとはいえワークスマシンを与えたことに疑問を持っていましたが、1戦目のスペインでいきなり予選5位、決勝5位という結果を出し、周囲に認めさせます。
23巻 P67 エディー・ローソンとワイン・ガードナーは実在のレジェンド・ライダー
第2戦のドイツのホッケンハイムで、予選3位のタイムを叩き出した後に、クラッシュしてしまいます。右手に怪我を負ってしまいますが、現地のドイツ人から翌日の決勝が雨から晴れることを聞かされ、決勝を走ります。
他のライダーが、レインタイヤを選択する中、インターミディエイト(スリックとレインの中間)をチョイスします。そして、その25巻の終盤からライバルとなるオリジナル・キャラクターのラルフ・アンダーソンが登場します。
ラルフは、現実の3度の世界チャンピオンのキング・ケニーことケニー・ロバーツの弟子で、ケニーのチーム、ラッキーストライクヤマハから参戦することになります。ホッケンハイムでは、ケニーに連れられてレースを観戦していただけでしたが、3戦目からGPにフル参戦することになります。
とにかく、3部ではケニー・ロバーツが異様にカッコいいです。この頃には現役を引退していて、ホンダの天才フレディ・スペンサーと争っていたときとは違うのですが、理論的で的確なコメントをずばずば言ってて、王者の風格が出ていました。
ラルフが直接のライバルなのですが、背後でコーディネートするケニー・ロバーツの存在感は際立っていました。グンは、フレディ・スペンサーと比較されることの多いライダーで、さながらフレディとケニーがGPに戻ってきたかのようになるのです。
同じように、インターミディエイトを選択していたライダー、クリスチャン・サロン(現実のヤマハのライダー)とトップ争いをしますが、最終ラップで転倒し、再スタートで7位に入賞します。
グンとラルフの一騎打ち
28巻 P86 イタリアGPでのグンVSラルフ最初のドッグファイト
第3戦イタリアGPは、ホンダの新型NSR500にとって試練のGPでした。パワーを上げすぎてホイールスピンし、後輪のトラクション不足に悩まされます。ピーキーな性質のタイプⅢの方が、ミサノ・サーキットとの相性が良く、予選6位のタイムを叩き出します。ライバルのアンダーソンはいきなり予選2位と驚愕のデビューとなります。
トップグループをエディ・ローソンと、ランディ・マモラ、ラルフ、グンで争っていたのですが、グンの予測不可能なチャージに焦ったラルフがマモラを巻き込んで転倒します。グンは、ローソンとの競り合いを制し、優勝します。
ここで、怪我をしたマモラの代わりに、ラルフがYZR500でフル参戦することになります。第4戦フランスGPは、ポール・リカール・サーキットで開催され、ストレートの長いコースに、グンのタイプⅢは予選9位と苦しみます。
30巻 P116 フランスGP タイプⅢをシマザキ・スペシャルのセッティングにして限界以上の走りをするグン
そこで、シマザキ・スペシャルのセッティングに変更し、決勝に臨みます。そして、決勝では、アンダーソンとの一騎打ちのトップ争いとなり、リアタイヤをスライドさせて、フロントタイヤに接触させるという信じられないラルフの技術に、コースアウトしかかります。
しかし、その直後にガードレールキックターン(1部からの必殺技)で復帰し、ハスラムの助力で、トップグループに戻ります。そして、再びリアタイヤをスライドさせるラルフの技をグンはウィリーでフロントを浮かせてかわします。
最終ラップで、アンダーソンとの接戦を制したガン・ボーイことグンは、2度目の優勝となりました。第5戦ベルギーでは、マシンの戦闘力不足がモロに出てきます。というのも、GPの場合5戦目には新型のセッティングやらパーツがアジャストしてくるので、旧型マシンを大きく凌駕してくるからです。
そのため、コーナーでタイムを削る必要があり、アグレッシブに攻める必要が出てきます。典型的なリアタイヤ依存型のライディングスタイル(立ち上がり重視)のグンのタイヤは、悲鳴を上げ、コースアウトしていしまいます。決勝は6位と惨敗し、オーストリアでも同様に勝てません。
そこで、梅井はある決断をします。現行のNSRでは勝てないため、1987年の途中から新型のNSR500を投入することにしたのです。とはいえ、イギリスGPの連載は1990年頃のことです。新型は明らかに倒立フォークとなっているので、89年頃のマシンだと思います。
32巻 107P イギリスGP ガンボーイ・スペシャルを駆るグン
長期にわたる3部の連載に、現実の時間が大きく追い越してしまったため、NSR自体が、その当時の最新のもののデザインに変わってしまったのです。ここは賛否の分かれるところですが、カッコ良さは断然新型なので、この決断は正しいと思います。
そして、グンは予選でラルフと並ぶポール・タイムを叩き出し、決勝ではラルフに大差をつけてトップを独走します。しかし、雨が降ってきて、転倒してしまいます。
そして、ベルギーGPでは、ラルフとの加速競争に打ち勝ち、優勝します。次のユーゴスラビアでもグンは優勝し、破竹の勢いでポイントを獲得していきます。しかし、10戦目のスウェーデンから、新型のガン・ボーイスペシャルが使えなくなります。
グンのマシンだけ、他のマシンとセッティングが違うのは、ガードナーとサンダーに合わせて開発されたマシンがグンに合わないからです。比較的ピーキーな特性のガン・ボーイ・スペシャルは、ピークパワーで、サンダーのマシンを上回り、ストレートエンドで伸びるマシンとなっていたのです。
そこにロスマンズ・ホンダ(当時のワークスチーム)のサンダーを初めとするライダーからのクレームが来て、スウェーデンでは一時的にタイプⅢを使うことになってしまいました。しかし、グンは劣勢を挽回すべく決勝でプッシュし続けます。
その結果トップグループに入るのですが、ゼブラゾーンの上を走ってまでインを突き、コースアウトしてしまいます。
その影響で、エディ・ローソンが転倒し、怪我をしてしまいます。グンは結局2位に入るのですが、FIMは、次戦のチェコスロバキア(当時)の出場を停止させます。そこで、グンは一度帰国します。ヒデヨシと夢の中で邂逅し、アメリカGPに出場することを決意し、ラルフと戦うのです。
ここは、ラルフが2戦参加していないことの反動ともいえる出来事です。マシンは途中まで旧型NSRでしたし、ラルフに対して、5分の状況でチャンピオンシップを戦わせたかったからでしょう。
最終戦スズカでのチャンピオン獲得!
37巻 83P アメリカGPでのグンとラルフのトップ争い
アウェーの中での異様な雰囲気のアメリカGPは最終的に、グンの勝利で幕を閉じます。そして、最終戦では、ガン・ボーイ・スペシャルが使えるようになり、ランキング・ポイントはラルフと1ポイント差の2位、スズカでの決着しだいとなります。
しかし、ラルフは予選からグンにプレッシャーをかける作戦に出ます。そこで、グンはスーパーラップに失敗し、予選は10位と低迷します。しかし、決勝で再び、ラルフとドッグファイトし、最終ラップの最終コーナーまで続きます。グンはラルフとの戦いを制し、ワールドチャンピオンとなるのです。
最終戦のスズカは、日本のプレスの応対に違和感を感じるような描写が多かったです。これは、日本製のマシンがコンチネンタル・サーカス(GPの別称)を席巻しているのに、ろくに取材もしない母国に対するしげの秀一からの強烈な反抗心からかもしれません。
ただ、ファンは最後までグンの味方でした。アメリカGPでも最終的には、観客がグンを称えるシーンがありました。グンは、観客を味方にしてしまうようなアグレッシブな走りが魅力のライダーです。
最終回では、グンのセリフはなく、歩惟の解説で締めくくられます。本当のチャンピオンが、カリスマとなるように、グンもそういった存在になったことを印象付けるためでしょう。
38巻 214P 世界チャンピオンとなったグン
ぶっちゃけ、ここまで熱くなったレース漫画は、バリ伝以外にはありません。しげの秀一のお家芸ともいえる、後半での追い上げと、2輪のドッグファイトでの火花が飛び散るような緊迫感は、凄まじいレベルで描写されています。
スピード線の使い方と、マシンとライダーのシルエットの表現は素晴らしく、バリ伝を超えたレベルで描写されている漫画を見たことがないくらいです。特にしげの秀一は2部~3部の中盤は、脂の乗り切った状態だったと思います。また、2部や3部を描くために、取材を重ねた作者やマガジンの編集者にも頭が下がります。
後年のイニシャルDで、ハチロクを中心としたクルマ漫画に変わっても、しげの秀一の迫力のある画は楽しめます。しかし、バリ伝のようなオートバイでの世界レベルの戦いといった独特の緊張感は、この作品でしか体験できないことなのです。
そして、この作品をきっかけに、世界GPに興味を持って、ヨーロッパのモーターサイクルの持つ芳醇な文化に接するようになった読者も多いです。筆者ももちろん、その内の1人です。今では、4ストローク1,000ccマシンのMotoGPとなりましたが、エキサイティングなオートバイレースは、進化しつつも続いているのです。
しかし、電子制御もなく、タイヤの性能が今ほどではない500cc時代は、タイヤがスライドするのが当たり前の時代でした。そこで、戦っていた偉大なライダーは、レジェンドとして記憶に残っています。
そして、バリ伝が連載終了した1991年以降、坂田和人や、上田昇、原田哲也、岡田忠之、阿部典史や加藤大治郎といった名だたる日本人ライダーが世界GPに挑戦し、小排気量クラスの125ccや、250ccでチャンピオンとなりました。
1999年から2008年にかけて、世界GPをグンと同じゼッケン56を付けて走っていたのが、中野真矢選手です。250ccクラスでランキング2位、MotoGPでも年間9位と活躍した中野選手は、バリ伝のファンで知られています。
村上もとかの『赤いペガサス』や、池沢さとしの『サーキットの狼』を抑えて、レース漫画の最高峰は、『バリバリ伝説』であることをここに宣言します。ちなみに、『はじめの一歩』の森川ジョージは、しげの秀一のアシスタントをしていました。
バリ伝とは違う意味で究極のクルマ漫画といえば、しげの秀一の盟友の楠みちはるの『湾岸ミッドナイト』です。こちらに関しては、また解説する機会があると思います。
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