青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない:完成度の高い劇場版!

2018年の秋アニメで、最も素晴らしい出来だった青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ないの劇場版が『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』として、放映されたので、さっそく観にいきました。テレビアニメの完結編として、完成度の高いアニメ映画でした。

目次 本記事の内容

    • テレビシリーズを見ていた方が楽しめられる作品
    • ネタバレ無しの感想
    • ここからはネタバレあります
    • 翔子の悲しい決断と咲太の選択
    • 最後の5分間をシンプルにした意味

テレビシリーズを見ていた方が楽しめられる作品

出典 https://ao-buta.com/ アイキャッチ画像も公式ページより 今回のヒロイン牧之原翔子

今回、ゴジラとどちらを観に行くか迷いましたが、テレビシリーズの続きが気になったことで、『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』の方を選びました。結果として大成功で、かなり満足度の高い映画でした。

ぶっちゃけ、テレビシリーズを全部見てからの方が、本作は楽しめられるので、劇場に行く前にテレビアニメの全13話をチェックすることをおすすめします。今回足を運んだ劇場は、なんばTOHOシネマズで、14時からの放映分でした。大阪では、後は梅田のブルク7のみです。今回は家から近いなんばを選びました。

全国公開劇場は今のところ30館程度ですが、もっと増やしても良かったと思いました。というのも平日の昼なのに、ほとんど全席埋まっていたからです。青ブタシリーズの人気を改めて、認識しました。

鴨志田一の原作小説は、未読ですがテレビシリーズは全て見ました。テレビアニメの感想は、2018年秋アニメのランキングで書いています。青ブタシリーズに共通しているのは、各章ごとのヒロインが思春期症候群というやっかいなSFがらみの能力を持っていて、自覚していたり無自覚のまま、周囲や自分自身に影響を与えています。

主人公の梓川咲太は、1話のヒロインで咲太の彼女の桜島麻衣を始め、各章のヒロイン達を次々と救っていきます。そして、本作『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』では、初恋の相手である牧之原翔子が、中学生と大人(大学生くらい?)という2つの存在として現れる謎がついに解明されます。

ネタバレ無しの感想

公式の本予告

小学生の牧之原翔子が自分の未来の夢に対する課題を悩んでいる姿から始まります。咲太とその妹、梓川花楓と麻衣の3人で鍋の準備をしていたら、大人の姿の牧之原翔子が訪れてきます。翔子は大人の姿では、家にいられないので、梓川家に泊めて欲しいと願います。

このときに包丁持ったまま玄関に出ようとする麻衣が怖かった!劇場では笑い声が聞こえてきました。結局、麻衣も咲太のマンションに泊まり、4人の奇妙な共同生活が始まります。

当初、翔子の思惑ははっきりしていませんでした。中学生の翔子と咲太は病院で出会い、翔子が心臓病で入院していることに気付くのです。それから、毎日咲太は病院に翔子の見舞いに行くようになります。

そんなとき、大人の翔子からクリスマスデートに誘われる咲太ですが、麻衣との約束を優先すべきか悩みます。この誘いには、ある意味があり、翔子はそのためにクリスマスの時期を選んで咲太に会いにきました。

CloverWorksの作画は、テレビシリーズ同様、安定しています。劇場版ということで、特別に作画を頑張っているという印象はありませんが、脚本を含めて丁寧に作られていたので好感が持てました。監督は『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ黄金のスパイ大作戦』、『サクラクエスト』の増井壮一です。

終盤の展開は、少し解りにくいところがありますが、ヒントは劇中に出てくるので、注意深くみれば理解できると思います。しかし、結末に関してはもう少し、説明してくれた方が、原作未読の筆者にとっては、詳しい経緯がはっきりしたと思うので残念です。

ただ、90分でうまくまとめられており、テレビシリーズを全話見たり、原作からのファンには納得の映画ではなかったでしょうか。とにかく泣ける映画ですので、ハンカチ必須です。僕はぼっちでした(涙)が、カップルにもオススメできる映画です!

※ここからはネタバレあります。

翔子の悲しい決断と咲太の選択

出典 https://ao-buta.com/ テレビシリーズの桜島麻衣

青ブタシリーズの特徴として、悪役はあまり出てきません。今回のゆめみる少女については、全員が相手のことを想っての行動で悪意は一切ありません。そこが泣けるポイントになっていて、翔子、咲太、麻衣の3人のそれぞれの行動は、最後の結論に行き着くまで自分をもっと大切にして欲しいと願わずにはいられないものでした。

クリスマスデートに誘われる直前、咲太は翔子が自分の心臓を移植した存在であることを知ります。咲太の友人の双葉理央は、数学や科学に深い学識を持っているので、見抜いていましたが、相対性理論が作用した未来の翔子が大人の翔子なのです。

つまり、翔子は過去を改編するために咲太に会いにきたのでした。それは、24日のクリスマスイブに、麻衣とのデートに向かう途中で、咲太が交通事故で脳死になり、ドナーカードによって心臓を翔子に移植するという出来事でした。

同じ存在は、同時に実在してはならないため、翔子と出会ってしまったから、咲太の胸には傷が付いたのです。つまり、同じ心臓が同じ空間と時間に同時に存在してしまっていた矛盾が、咲太の傷の正体だったということです。

麻衣は、咲太に生きていて欲しいと強く訴えます。場合によっては、自分が咲太を守るとまで言うのです。それは、この話を聞いて未来を変えるつもりがなくなることを見越しての話でした。

咲太は病院で苦しんでる翔子を放っておけなくなり、約束したデート場所に向かいます。しかし、これは翔子によるフェイクで、本当は翔子とのデート場所こそが事故現場だったことに気付くのです。翔子は、咲太を守るために、わざと嘘の情報を流して、自分を救おうとする咲太を助けようとしたのです。

しかし、咲太は翔子との待ち合わせ場所に現れ、雪のためスリップした車に轢かれそうになります。咲太を突き飛ばし、変わりに麻衣が死んでしまいます。咲太はショックのため、呆然自失となります。

そんな咲太を助けにきたのは、麻衣の心臓が移植された翔子でした。翔子は、過去を改変するために、クリスマスイブに戻ろうとする咲太を学校の保健室でタイムスリップさせます。それはつまり、翔子のドナーが1人もいなくなることを意味します

咲太は、過去の自分と同時に存在できないことを利用して、マスコットキャラクターの着ぐるみを着たまま、クルマに轢かれる直前の過去の自分を突き飛ばします。着ぐるみの中の咲太は、過去の咲太に統合され、轢かれたはずの着ぐるみの中には誰もいません。つまり、誰も車に轢かれることのない時間軸となったということです。

この結果は、翔子にとってはドナーが現れないことに繋がるのです。しかし、病室で苦しむ翔子を見かねて、咲太は大人の姿に分裂する前の翔子と会って過去を改変しようとします。

これは、冒頭の夢について書くことをためらう翔子から始まっていることでした。翔子は、小学生時代から未来への不安のため、分裂した存在になっていたのです。つまり、過去に分裂した事実がなければ、咲太と翔子は出会わずに、別のドナーが現れる可能性があるかもしれなくなるのです。

しかし、この選択をした場合、咲太は峰ヶ原高校に進学することがなくなり、麻衣と出会うこともなくなるのです。それはあまりにも咲太にとって厳しい選択でした。病室の翔子は、咲太に今までの大人の記憶について語り、可能性の低い過去改変は止めるよう進言します。

咲太は、今までの記憶を持った中学生の翔子が、自分の死をもかけて咲太を想う気持ちに涙します。翔子は自ら小学生の自分が、分裂しなくなるように課題のプリントを過去に戻って書いたのです。病室に残された課題のプリントに大きな花丸をつけて、麻衣と共に病院の待合ベンチで眠ります。誰も悲しまない未来を望みながら・・・。


そして、今までの出来事(テレビシリーズ含む)が走馬灯のように流れ、数日経った未来となります。翔子のことを忘れた咲太と麻衣は、海辺に向かう途中で、麻衣が主演したドナー提供を待つ心臓病の少女の映画のポスターを懐かしそうに見ます。

ここが一番重要なことで、この映画がきっかけで臓器提供のドナーが増えたことを描写しています。そして、以前翔子と会った海岸で、親子で海辺に来ている元気な翔子と出会い、咲太は記憶を取り戻し「牧之原さん!」と叫びます。それを聞いて翔子は、咲太に微笑みます。つまり、全てを知っていて心臓病を克服した翔子がそこにいるのです。

過去を改変したのは、翔子に咲太と麻衣以外のドナーが現れることです。そのきっかけとなったのは、過去に戻った麻衣が心臓病の少女の役の映画に出演したことです。正直、映画を観た直後には、はっきり解りませんでした。

最後に微笑む翔子の心臓は、どこから来たのか?と考えると、生きている2人ではありえません。つまり、別のドナーが現れたということになるのです。翔子は小学生時代の自分のプリントを書き上げ、誰も犠牲にならない時間軸を構築し、一方で麻衣は過去に戻って心臓病の少女を演じ、翔子を救ったのです。

相手のことを思いやる気持ちが、誰も悲しまない未来を選択したといえます。結末については、以下のことが複合的に作用したから起こったことです。

        • 翔子が小学生のときに分裂しないように課題を書く
        • 麻衣が心臓病の少女の映画に出る
        • 咲太が言っていた募金活動でドナーが集まる
        • 咲太の夢という形で翔子との記憶が出てきて峰ヶ原高校に進学する
        • 最後に翔子と咲太が出会うことで夢が別の世界で起こったことであると解る

ご都合主義だといわれればそれまでですが、これだけ優しい気持ちと行動が揃った結果だと思うと、最後の翔子の微笑みに救われた気持ちになれます。つまり、泣ける話でありながらハッピーエンドの映画なのです。

最後の5分間をシンプルにした意味

出典 https://ao-buta.com/

劇場では、最後の5分間の意味を色々と考えてしまいました。というのも、箇条書きにしたところは、説明があまりないからです。

映画のことやドナーが増えたことは、咲太や麻衣の会話でわかるのですが、別の世界線で起こった出来事が夢になって出てくるところは、病室での中学生の翔子と咲太のやりとりでしか、これまで描写されていません。

一応、夢の話も最後の5分に出てきており、それで峰ヶ原高校に咲太が進学したことは解るのですが、展開が早いので頭が理解するスピードよりも話が先に進んでしまいました。

ここは、もう少しタメを作ったり丁寧に描写する必要があったように思えます。というのも、原作を未読で映画で初めてこの作品に触れた場合、筆者のように理解が追いつかない場合があるからです。

結末をくどくどやり過ぎると、せっかく丁寧に積み上げてきた展開が陳腐なものになってしまうので、一概に悪いとまでは思いません。最後の翔子と海岸で出会うシーンは、本当に素晴らしく、いいようのない感動を与えてくれました。感性を重視した結果が、あのラストだったのだと思います。

というわけで、ラストの展開に関しては、「考えるな!感じるのだ!」という格言で締めくくらせてもらいます。考察は家に帰ってからゆっくり考えればできます。

途中で解りにくいところがあったりしますが、SF設定もよく考えられていて、原作を読みたくなる作品です。『伝説巨人イデオン』や、『新世紀エヴァンゲリオン』のように、完結編は劇場で!というのは、あまり好きではないのですが、青ブタの場合、なぜか許せる気分になれるのは、筆者が丸くなったということでしょうか(笑)。

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