All Things Must Pass George Harrison:大ボリュームの傑作

今回は、ビートルズのギタリスト、ジョージ・ハリスンのソロアルバム“All Things Must Pass”を紹介します。ビートルズが解散した1970年に発表されたジョージのソロアルバムはLP3枚組み23曲という大ボリュームの傑作アルバムでした。

ビートルズからソロアルバム発表まで

ビートルズのメンバー

ザ・ビートルズほど、有名なバンドはありません。そのメンバーの中でもジョージ・ハリスンは、地味な存在でした。ジョン・レノン、ポール・マッカートニーという不世出の天才2人と、愛嬌があり印象的なドラマーのリンゴ・スターという面子に囲まれていたためです。

リードギタリストとしてのジョージの存在は「クワイエット・ビートル(静かなビートル)」と呼称されるように目立たないものでした。実際に、ビートルズの初期から中期において、ジョージの書いた曲がアルバムに収録されることは少なく大半がレノン・マッカートニー名義のものでした。

筆者が投稿した、この記事の動画バージョンです。

ビートルズでは、リンゴがメインボーカルする曲を除いて、作曲者がメインボーカルを担当するという法則がありました。ジョージがメインボーカルを担当する機会は少なく、そのためにジョンやポールの影に隠れることが多かったのです。

ジョージの音楽的資質が開花したのは、1966年のアルバム”Revolver“からです。1曲目の”Taxman”はジョージの曲です。また、その少し前からラヴィ・シャンカールに師事し、シタールなどの東洋楽器を弾きこなすようになりました。

ジョージのソングライティングの才能もこのころから格段に向上していきます。転機になったのは、”The Beaatles(ホワイトアルバム)“の”While My Guitar Gently Weeps“です。親友のエリック・クラプトンを招いて録音されたこの曲は、ジョージのソングライターとしての評価を決定的なものにしました。

実質的なビートルズの最後のアルバム”Abeey Road“(実際に販売された順ではレット・イット・ビー)での“Something”や”Here Comes The Sun”などは、ジョンやポールの曲に匹敵するほどの名曲として知られています。

1970年4月にビートルズが解散してからわずか7ヵ月後の11月に発表されたのがジョージのソロ作、オール・シングス・マスト・パスだったのです。

All Things Must Pass解説

オール・シングス・マスト・パス・ジャケット

1曲目の”I’d Have You Anytime“は、ボブ・ディランとジョージの共作で、エリック・クラプトンがイントロ及びリードを弾いています。ゆったりしたアコースティックな曲から始まります。

2曲目の”My Sweet Lord“は、このアルバムの第1弾シングルとして販売され、イギリス、アメリカのNo1シングルとなりました。ジョージがスライドギターを弾いています。

ヒンドゥー教の最高神のクリシュナを称える内容の歌詞で すが、メロディラインが印象的な明るい曲です。ジョージらしい展開の曲なのですが、シフォンズの”He’s So Fine”の盗作疑惑で訴えられています。

たまたま、似たメロディと構成が似通ってしまうことはよくあることで、ジョージは1976年の訴訟に敗訴します。本当に気付かないうちにメロディが残ってしまうことがあるので、基本的にジョージに同情します。

3曲目の”Wah-Wah”では、エフェクターのワウ・ペダルから着想を得ています。アップテンポの遊び心満載の曲で、ワウのかかったギターはクラプトンによるものです。

そして、個人的にフェイバリットな曲、”Isn’t It a Pity (Version One)“は、アコースティックなバラードです。Version2が後半にも収録されています。アコースティックギターとビリー・プレストンのピアノから徐々にパーカッションが加わり、ドラムロールからベースも入ってきます。

そして、コーラスとストリングス、そこにスライドギターが入るという豪華なサウンドになっていきます。ジョージと共同プロデューサーだったフィル・スペクターの手腕が冴えた名曲です。

フィル・スペクターは、ウォール・オブ・サウンドという厚みのある音作りが特色の音楽プロデューサーです。ベン・E・キングやザ・ロネッツをプロデュースしていました。ビートルズとは、ゲット・バック・セッションをまとめた”Let It Be“をプロデュースしています。

ジョンのプラスティック・オノ・バンドや、ジョージのソロ作でもプロデューサーとして辣腕をふるっています。ビートルズのプロデューサーといえば、ジョージ・マーティンですが、オール・シングス・マスト・パスは、ジョージ・ハリスン自身とフィル・スペクターのコンビで素晴らしいアルバムに仕上げています。

本を読むジョージ

5曲目の”What Is Life“は、第2弾シングルです。アップテンポの明るめの曲で、ビリー・プレストンに提供するつもりだった曲です。6曲目の”If Not You”は、1970年にボブ・ディランとレコーディングした曲のうちの1曲です。結局、このアルバムではカヴァー曲として新たにレコーディングしたバージョンが収録されています。

8曲目の”Let It Down“は、アルバム全体の中でも1,2を争うほどの名曲です。フィル・スペクターによる豪華なイントロから一転して、ピアノのパートに入り、そこから再び豪華で力強いBメロ(イントロと同じコード進行にメロディが加わったもの)が、曲に強烈なコントラストをもたらしています。

このレット・イット・ダウンでのスライドギターは、ジョージの演奏の白眉ともいえるもので、ギタリストとしてのジョージの力量がこの頃にはビートルズ時代よりも向上していることが伺えます。また、テンションコードを多用しコード進行を工夫することで、1曲の中でメジャー感とマイナー感を出しています。

9曲目の”Run of The Mill”でDisc1は終了します。2枚目は、”Beware of Darkness“で始まり、次に”Apple Scruffs”は、ブルースハープが印象的な曲で、ビートルズの熱心なファンの少女達について書いた曲です。

5曲目はタイトルナンバーの”All Things Must Pass“です。とても美しい曲で、1968年に書かれた曲です。ビートルズ時代のゲッド・バック・セッションでも演奏されましたがビートルズでは採用されず、結局ソロ作のタイトルナンバーとして日の目を見た形となりました。ビートルズ・アンソロジー3に、ビートルズバージョンが収録されています。


7曲目の”Art of Dying“は、アルバムの中でも一番昔の1966年に作られた曲です。アップテンポのカッコいい曲ですが、ビートルズでは採用されなかったので、ソロアルバムに収録されることとなりました。この時期のクラプトンらしいワウを多用したギターが入っています。

Isn’t It a Pity (Version Two)“は、2枚目の8曲目です。1枚目の4曲目のバージョン1とアレンジが違っていて、クラプトンのエレキのオブリも最初から入っています。アコースティックギターのバッキングとピアノがバッキングの主体となっていますが、コーラスのパターンやエフェクトのかけ方を変えています。

抑揚重視のバージョン1と、比較的フラットなバージョン2という違いがあります。2枚目の最後は、ゴスペル調の”Hear Me Lord”で締めくくられます。

ジョージと親友のエリック・クラプトン

Disc3は、全編アップルジャムと呼ばれるジャム・セッションです。主にクラプトン率いるデレク・アンド・ザ・ドミノスのメンバーとのセッションですが、トラフィックのギタリスト、デイブ・メイスンも参加しています。

3曲目の”Plug Me In”では、左にクラプトン、センターにジョージ、右側がデイブ・メイスンという豪華な共演がされています。4曲目の”I Remember Jeep”では、センターにクラプトン、ドラムはなんと元クリームのジンジャー・ベイカーです。ジョージはなぜかシンセを弾いています。

インスト中心のDisc3は、”Thanks for the Pepperoni”でジョージのギターがセンター・ポジションです。右がデイブ、左がクラプトンという定位になっています。ロックンロール調のジョージの好みそうなインストナンバーで締めくくられます。

オール・シングス・マスト・パスは、23曲、103分にも及ぶ大作です。ジョージがビートルズ時代から暖めていた曲や、自分がプロデュースしているアーティストのために作った曲や、ボブ・ディランとの共作、ジャムセッションなど、ありとあらゆる要素の詰まった名盤です。

有名なバンドのギタリストが作ったソロアルバムの中でも、出色の出来の作品です。ビートルズのソロ作の中でぶっちぎりで好きなアルバムが、このオール・シングス・マスト・パスです。

ビートルズのメンバーとしては、ドラマーのリンゴが参加しています。ジョージは、デラニー&ボニーのイギリスツアーのサポートメンバーとして参加しており、その縁で後のデレク・アンド・ザ・ドミノスのメンバーがそのままオール・シングス・マスト・パスに参加しています。

多数のアーティストと交友のあったジョージならではの豪華メンバーによるソロ・アルバムだったのです。今でも頻繁に聴くアルバムのうちの一つです。

ジョージのギターについて

ジョージとオールローズのテレキャスター

ジョージのギターの中で印象に残っているのが、ビートルズ後期の1968年から使っていたオールローズウッド仕様のフェンダー・テレキャスターです。

オールローズ・テレキャスターは、デラニー&ボニーのツアーに参加中の1969年12月に、デラニー・ブラムレットにプレゼントしたそうです。その後、ジョージはデラニー・ブラムレットに返却して欲しいといったそうなのですが、なかなか首を縦に振らなかったようです。

2001年にジョージは癌で亡くなりました。その後、デラニーはこのオールローズ・テレキャスターをオークションに出し、ジョージの奥さんのオリヴィアが代理人を使って落札し、現在はジョージの息子のギターとなっているようです。

ビートルズ初期ではリッケンバッカー360や、中期ではエピフォン・カジノを愛用していたジョージですが、ホワイト・アルバムではクラプトンからもらったギブソン・レスポールを、そして、ゲッド・バック・セッションやルーフトップコンサートでは、テレキャスのオールローズを使用しています。

エピフォン・カジノを弾くジョージ

他にはグレッチ・テネシアンやデュオジェット、カントリー・ジェントルマンなどグレッチも好んでいます。ストラトキャスターも弾いていた時期がありました。単純にギターが好きなんでしょうね。

ギタリストとしてのジョージのプレイは、ビートルズ時代よりもソロ時の方がはっちゃけた感じがします。職人的なビートルズ時代のプレイもいいのですが、我を存分に出すことのできたソロ時代は、ジョージのギタリストとしてのテクニックも冴え渡っています。

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