BSマンガ夜話のように、完結した作品を中心にマンガを紹介する『完結マンガの名作レビュー』をやっていきます。今回は、奇才浦沢直樹が、手塚治虫の『鉄腕アトム』の「地上最大のロボット」をリメイクした”PLUTO“です。
なぜ完結マンガなのか?
2巻 26P 少年そのもののアトム
今回から、連載中ではなく作品として完結している名作マンガを紹介していくことにしました。連載作品でなく、完結作品のシリーズにした理由は、マンガは最終回にならないと評価しにくいからです。
あれだけ人気のあった『東京喰種』が、reの終盤での展開で、一気に評価を下げた出来事がありました。『ベルセルク』のように長すぎて読む気がなくなるマンガもあったりするので、完結していることを条件にした上でレビュー記事を書いていこうと思いました。
今回紹介するPLUTOは、ビッグコミックスで全8巻と、読みやすい長さですし、なにより内容が素晴らしいです。作者は、『MASTERキートン』、”MONSTER“の浦沢直樹です。
浦沢版地上最大のロボット
PLUTO 1巻 24ページ このシーンでゲジヒトがロボットであることがはっきり解る
プルートゥの連載が開始された、2003年は浦沢直樹はビッグコミックスピリッツで『20世紀少年』が連載中でした。PLUTOは、姉妹誌であるビッグコミックオリジナルで連載が開始されました。
プルートゥは、手塚治虫の『鉄腕アトム』の1エピソードの「地上最大のロボット」のリメイクです。鉄腕アトムは、1952年から1968年に、少年(光文社の雑誌)で連載されたSFマンガの金字塔です。
1963年から1966年にわたって、国産初の30分テレビアニメとして放送された本作には、虫プロに入社したばかりの『機動戦士ガンダム』で有名な富野由悠季(喜幸)も脚本と演出で参加していました。また『銀河鉄道999』のりんたろう、『あしたのジョー』の出崎統といった後の優秀なアニメ監督が参加していました。
浦沢直樹の描く「地上最大のロボット」は、”PLUTO“と名付けられ、手塚版とは大きく異なるリメイク作品でした。それは、浦沢の書いた人間の少年そのもののアトムであったり、ベテラン刑事のような風貌のロボット刑事ゲジヒトのキャラクターデザインから解ります。
普通は、ロボットというと、メカニカルデザインというべきなのですが、ノース2号や、ブランド、ヘラクレスの戦闘スーツ以外は、人間のようなデザインのロボットが多いので、浦沢直樹のキャラクターとでもいうべきものでした。
プルートゥでは世界最高の能力を持つ7体のロボットが狙われます。アトム、ゲジヒト、モンブラン、ブランド、ノース2号、ヘラクレス、エプシロンは、それぞれ最高の人工知能と、戦闘力を持つ、各国のパワーバランスを保つほどの能力のあるロボットでした。
序盤は、ロボット刑事ゲジヒトの捜査から始まり、1巻の最後にアトムが登場します。2巻からアトム視点の話が、始まるのですが、人間らしい風貌のゲジヒトが、驚愕するほどアトムは、普通の子供に見えます。
秀逸なのが、人工知能の性能がアトムの方が高いという描写を、感情豊かなアトムが、アイスを食べたり、おもちゃを欲しがるという場面で表現していることです。これで、ロボットとしての基本性能の違いがはっきりするのです。
3巻3ページより 浦沢版ウラン
2巻の最後で、アトムの妹ウランが登場します。ウランは、お茶の水博士が作ったアトムの妹ですが、浦沢キャラクターとでもいうべき、元気な少女として描かれています。
これらのロボットが、浦沢版のアトムの特徴であり、表情豊かなロボットはメカニカルな魅力よりも、キャラクターとして感情移入しやすくなっています。また、ゲジヒトの夢や、第39次中央アジア紛争の記憶、抽象的に描かれていたプルートゥの不気味さなど、心理面での恐怖というものを感じさせます。
これは、MONSTER以降の浦沢マンガの特徴が、作品にうまく生かされているといえます。というのも、単純に強大なロボット同士が戦う話というのは、もはや陳腐化された手法だからです。
PLUTOのロボットが、一番恐怖していることは、憎悪や、戦争の恐怖、人間への殺意です。ロボット工学三原則で、人を殺せないはずのロボットが犯した罪や、高度に発達したAIがもたらすものは、ヒトそのものに近づきすぎたが故の悲劇なのです。
石ノ森章太郎の傑作、『人造人間キカイダー』のマンガ原作版のラストで、、良心回路と服従回路によって、人間そのものの感情を持つようになったキカイダーが仲間を破壊し、殺意を持ってギルハカイダーを倒します。
キカイダーは、人間そのものの感情を持って幸せなのか?という重い問いかけで、終幕を迎えます。ロボットが高度に発達すると、人間のような不条理さも理解し、行動するようになるのかもしれません。
強大な力を持つロボットが、制御できないほどの憎しみを抱くようになり、人類の歴史そのもののように、お互いに争い、戦い合うことに対する恐怖が、作品の中で繰り返し描かれています。
ゲジヒトとエプシロンについて
3巻92Pより エプシロンは光子エネルギーを動力源にしているロボット
ゲジヒトは、ドイツのロボット刑事として、抜群の捜査能力、ゼロニウム弾などの強力な武装、装甲の硬さなど、性能で突出したロボットでした。ただ、高度なAIという点で、アトムやウランに劣ってしただけで、プルートゥとの戦闘では、浦沢版では勝利しています。
しかし、ゲジヒトは、花売りのロボットのクラスター砲によって、プルートゥとの戦闘や捜査で受けたダメージの残っている体を破壊されます。
ここまでが、6巻の内容ですが、ゲジヒトの捜査によって、プルートゥを作ったのが、アドラー博士であることが解ります。プルートゥには、強大なボディにサハドという植物を愛するロボットの人工知能が搭載されています。
ゲジヒトは、サハドのAIを持ったプルートゥを破壊することは出来ませんでした。仮に、生みの親であるホフマン博士が人質に取られていなかったとしても、同じことをしたでしょう。
ゲジヒトは、最高の七体の中で、捜査権を持つ唯一のロボットでした。ミステリーものの要素を濃くしているPLUTOでは、主人公格の1人として登場しています。そして、徴兵を拒否し、孤児院を営んでいる光子エネルギーを動力源とするエプシロンもまた、後半での主人公の1人です。
エプシロンは、プルートゥとの1回目の戦闘で勝利します。光子エネルギーを使う、エプシロンは、プルートゥにとって相性の悪い相手だったからです。エプシロンは、第39次中央アジア紛争に参加していません。戦う目的で作られたロボットではないため、徴兵を拒否したからです。
ヘラクレスが、プルートゥと戦闘する前に、エプシロンに「徴兵拒否したお前が正しかったのかもしれない」と語っています。第39次中央アジア紛争は、イラク戦争がモチーフになっている、未来における中央アジアの国連軍派兵ということでした。
軍事力に劣るペルシア王国は、トラキア合衆国(アメリカのような国)によって編成された平和維持軍にあっという間に制圧されたからです。これは、大義のためといいながら、軍事力によってペルシア王国に侵攻した大国のエゴによる戦争でした。
しかし、生みの親であるアドラー博士が命を落とし、ゴジ(謎の天才科学者)によってプルートゥとして活動を始めるのです。
エプシロンは、孤児を育てる心優しいロボットです。思えば、最初に破壊されたモンブランや、ノース2号なども優しいロボットでした。エプシロンは、そんな7体のロボットの中でも、終盤の7巻しか戦闘しない平和主義のロボットだったのです。
しかし、結局は、エプシロンも光子エネルギーをチャージしきれていない状態で戦い、最終的にはプルートゥに破壊されます。
アトムが物語全体の主人公なら、ゲジヒトとエプシロンは、それぞれアトムが登場しない場面での物語を進行させる主人公格とでもいうべきキャラクターでした。アトム、ゲジヒト、エプシロンは、戦闘能力でプルートゥに勝る能力を発揮したロボットである点も共通しています。
そして、ゲジヒトの妻のロボットであるヘレナ、アトムの妹ウランは、ヒロインとしての役割を持っています。このことは、本編での主人公が、アトムとゲジヒトであったことをあらわしているのではないでしょうか?
原作とは異なるアトムのパワーアップについて
7巻 190ページのアトムの目覚め
手塚治虫の原作マンガでは、アトムは10万馬力から100万馬力にパワーアップしています。PLUTOでのアトムのパワーアップは、天馬博士による修理によるバージョンアップ(スペック的な向上については触れられていない)と、ゲジヒトのメモリーチップによる覚醒というものでした。
アトムの生みの親である天馬博士は、アドラー博士に請われて世界最高レベルの人工知能を持つゴジというロボットの開発をしていました。膨大なデータを処理するため、一方的に偏向した情報を与えることが、ゴジを目覚めさせるキーとなりました。
それこそが、憎悪でした。トラキアによって生みの親であるアドラー博士を殺されたゴジは、目覚めるとアドラーそのものの風貌となっていました。そして、反陽子弾を体内に持つロボット、ボラーを開発するのです。
そして、目覚めないアトムに対して、天馬博士は憎悪の注入と、ゲジヒトのメモリーチップのインストールという荒業で、アトムを覚醒させます。アトムは、地球を滅ぼす反陽子弾の数式をあっという間に書き上げます。
しかし、お茶の水博士が見たアトムは、カタツムリを枝の葉にやさしく戻す、元の優しいアトムでした。そして、アトムはゲジヒトのメモリーチップの記憶によって、黒幕がアドラーの顔を持つロボットゴジであり、ボラーの存在と背後のトラキア合衆国の存在を感知します。
そこで、1巻から登場していた人間殺しのロボット、ブラウ1589に、もう一方の黒幕であるトラキアの人工知能(テディベアの人形の姿)の破壊を要請します。
天馬博士によるバージョンアップと、多くの仲間を破壊された憎しみにより、アトムはプルートゥとの戦闘で圧倒します。しかし、ゲジヒトのメモリーに残っていたロボットの子供を慈しんだ記憶がブレーキとなり、プルートゥへのとどめを刺さずに共に空を見上げます。
アトムとプルートゥ(サハド)は、ボラーを止めるための戦いに向かい、サハドはプルートゥの残った腕を使ってアトムを脱出させ、ボラーと相打ちになって世界の崩壊を止めるのです。
手塚版と浦沢版の共通のテーマ
8巻139ページ アトム対プルートゥ
手塚原作版の展開でも、アトムとプルートゥは共闘するのですが、プロセスが違っていて、アトムとの友情が根底にあります。浦沢版では、元々優しいサハドの性格が、アトムとの共感に繋がっていきます。
最終兵器として登場するボラーも、8巻の最後の戦闘のみの登場となっています。アトムとプルートゥの戦いが終わってから、ボラーとの決戦なのですが、プルートゥことサハドは、その身を犠牲にすることで、世界の崩壊を止めました。
筆者が投稿した、この記事の動画バージョンです。
原作と同じように、アトムがお茶の水博士に、戦いの虚しさ、平和への願いを口にします。ここで、手塚と浦沢の両方の「地上最大のロボット」最大のテーマが交差することになるのです。
浦沢直樹ならではの手法で、現代の読者にも楽しめる作品としてリメイクされたPLUTOは、最終的に手塚治虫の原作と同じテーマで締めくくられています。これこそが、一番伝えたかったメッセージなのです。
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