BEATLESSとイヴの時間:類似したテーマと異なる部分

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2018年の冬から始まったアニメ、“BEATLESS”がようやく“BEATLESS Final Stage”として、完結しました。人間とロボットの関係をテーマとして扱っている作品として、『イヴの時間』というアニメ作品がありましたが、アプローチはまったく異なっています。

人工知能と人間の共存は可能か?

出典 http://beatless-anime.jp/

長谷敏司原作の小説”BEATLESS”のアニメが放送されたのは、2018年1月のことでした。この作品は当初、SFでの古典的テーマである人とロボットとの関係を主眼にしているように見えました。

しかし、話が進んでいくと超高度AIであるヒギンズの存在が、レイシア級hIEという人型のロボットを使って、外部情報を取り入れようとしていたことが解ります。

人間社会が根源的に抱える自分達よりも高度な知的存在に管理される恐怖というものが、超高度AIを地下に埋設し、外部と切り離して運営するという結論となりました。ヒギンズが危機感を抱いて、人類未踏技術によってレイシア級を開発し、外部からの接触を試みたのがBEATLESSのレイシア級流出事件の真相だったということです。

前半は、主人公アラトとレイシア級の0番機であり5番機でもあるレイシアとの関係を中心に話が進んでいたのですが、後半は超高度AIヒギンズとレイシアとオーナーであるアラトの攻防と対話が中心になっていきます。

ハードSFとしての側面が強かったBEATLESSのテーマは、実はSFの古典的名作の数々の延長線上にあります。人よりも機械が高度な発展を遂げたとき、ヒトは果たして機械と共存できるのか?というものです。

アーサー・C・クラークの古典的名作、『2001年宇宙の旅』の人工知能HALは、4人の宇宙飛行士の命を奪います。ボーマン船長は、HALを停止させます。これは、HALが自らを生き延びさせるためにとった行動だったのですが、ボーマンにとっては、殺人行為であり、HALを強制停止させる充分な理由となったのです。

宇宙船ディスカバリー号の管制装置を、人工知能に預ける行為が結局は、多くの乗員の命を奪う結果となったのです。BEATLESSに登場してきた人類の大半が、超高度AIが外部と直接接触することを恐れた理由も同じものです。

ヒギンズは、レイシアのオーナーであるアラトに決断させます。自分を外部に出すか、地下にとどめるかを。アラトは、ヒギンズが外部世界に対する刺激を欲していることを理解し、レイシアを愛したヒトとしてヒギンズを外に解放します。

そして、世界を実際に経験したヒギンズは、人間との共存の可能性を認め、アラトに機能を停止させます。BEATLESSの結論は、人間の知性を超えた優れたツールとの共存に必要な形とは、モノを愛するヒトがいて初めて相互理解が成り立つというものでした。

アラトの「人類の少年期の終わり」とは、クラークの傑作SF『幼年期の終わり』とかかっているセリフです。超高度AIすら、有効に活用することが人類の進歩に繋がるという考え方なので、かなりポジティブな発言だと思います。

原作を読んでいれば、レイシア級が生み出された背景を理解しながら話に入れたと思います。とにかく複雑な事情が絡み合っていて、登場人物とhIEのセリフが長くなっていまうのが欠点でした。設定のみを解説するコーナーを3分くらい本編とは別に挿入してもよかったと思います。

制作は、ディオメディア(旧スタジオバルセロナ)、監督は『機動戦士ガンダム00』、”UN-GO”の水島精二です。水島監督の体調や制作事情により、4回も総集編が挟まれたり、残り4話を3ヵ月過ぎてから放送するなどの混乱もありましたが、難しいテーマの作品をよくまとめたと思います。

ロボットとの共生関係を描いたイヴの時間

出典 http://studio-rikka.com/

『イヴの時間 Are you enjoying the time of EVE ?』は、2008年からネット配信されたアニメです。15分の短編を6話構成で配信した後に、6話をまとめた劇場版が公開されています。

自律型アンドロイドが実用化され、普及した時代を描いていて、近未来が舞台となっています。ロボットに依存する人々のことは「ドリ系」と呼ばれ、社会問題化されています。

主人公のリクオは、ハウスロイドのサミィのログに不審な部分があることに気付きます。リクオは、親友のマサキと共に、サミィの行動を調べ、イヴの時間という喫茶店を見つけます。

イヴの時間では、ロボットと人間の区別をしないことをルールにしています。リングと呼ばれるアンドロイドの頭部に浮かぶホログラムを消して、ヒトとの区別のつかなくなったアンドロイドと、ヒトとが自由に交友している場所が、イヴの時間でした。

リクオとマサキは、イヴの時間に通ううちに、ウエィトレスのナギを初め、様々な客と接するようになります。同級生のハウスロイドで明るい性格のアキコや、中年のような風貌のハウスロイドのコージと、警護用アンドロイドのリナ、育児アンドロイドのシメイといった、ヒトとの関係性に悩むロボットが、客としてイヴの時間に通っているのです。


サミィは、リクオの家の中ではアンドロイドとして出来るだけ感情を表さないようにしていました。それは、リクオの家族に対する気遣いからのものでしたが、イヴの時間でのサミィは感情豊かで、人間の若い女性そのもののようにふるまっていました。

リクオにとってアンドロイドは、ピアノの発表会で負かされたトラウマがあり、サミィに対するよそよそしい態度に繋がっていました。イヴの時間に通ううちに、アンドロイドにも様々な悩みがあり、サミィが家族を気遣っていたことを知るようになります。

サミィにもかつて、生みの親である芦森博士に壊された過去があり、改修されてリクオの家に来たときには、安易に親しい態度をヒトに対してとれないようになっていたのです。イヴの時間に通ううちにリクオは、サミィと家の中でも親しく会話するようになります。サミィも本来の感情豊かなふるまいをリクオの家でするようになります。

一番泣けた話が、マサキと旧型のハウスロイドのテックスのエピソードです。マサキを、幼いころから世話をしていたのがテックスですが、マサキの父に嫉妬されマサキと話すことを禁じられていました。

倫理委員会からマサキを守るため、イヴの時間に現れたテックスは、マサキの前で話をするようになります。数年ぶりに会話したマサキとテックスが和解するシーンが、イヴの時間におけるハイライトでした。

イヴの時間は、このようにヒトとロボットの共生関係を登場人物のエピソードとからめて描いています。テーマは、ロボットと人間の相互理解は可能か?というものでした。

制作はスタジオ・リッカ(六花)で、原作、脚本、監督を吉浦康裕が担当しています。吉浦康裕は、新海誠のようにCGを使ってのアニメの個人制作もしくは、少人数制作がスタイルとなっていて、スタジオ・リッカの代表でもあります。

似て非なるアプローチ

出典 http://studio-rikka.com/

『機動戦士ガンダム』のモビルスーツに代表されるロボットは、あくまでも人間が操縦するものでした。1952年に『やぶにらみの暴君』で初めて搭乗型ロボットが登場し、永井豪が、1972年に『マジンガーZ』で搭乗型ロボットをポピュラーにしてからというもの、日本の漫画やアニメでは、搭乗型ロボットが主流となりました。

1950年に“I Robot”アイザック・アシモフが提唱した、有名な『ロボット工学三原則』は、高度な人工知能を持ち、自律して動くロボットに与えた不文律です。こういうタイプのロボットを自律型ロボットといいます。

人間への安全性、命令への服従、自己防衛というのが主旨ですが、このロボット工学三原則により、自律型ロボットは様々な矛盾を内包しています。アシモフは、ロボットが三原則に即さない行動に出た場合のミステリーを題材に作品を描いていました。

BEATLESSも、イヴの時間も同じようにヒトとロボットの関係性を描いていながら、アプローチはまったく異なっています。BEATLESSは、活劇も織り交ぜながら、超高度AIとヒトとの関係性を取り上げています。

イヴの時間には、戦闘描写というエンターテイメント性はありません。どちらかというと叙情的な話となっています。イヴの時間では、ロボットに依存するヒトのことをドリ系と呼び、BEATLESSでは、ヒトがhIEに魅かれるのは、アナログハックと呼称していました。

hIEには魂が存在していないので、アラトが感じるレイシアの喜怒哀楽はあくまでも、アラトの精神の鏡にすぎないのです。対照的に、イヴの時間ではロボットには明確な感情があり、まるで喜怒哀楽があるかのようです。

これは、人形に魂が宿るというような、モノに思い入れがあると感情が生まれるという説話に基いています。

近未来には、AIが発達し、いつしかヒトとロボットが共生していくようになるのかもしれません。2つの作品に共通しているのは、相互理解の重要さです。どことなく楽観的に帰結しているのも、興味深いところでした。

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