ボヘミアン・ラプソディ観賞:圧巻のライブエイド!

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Rock名盤解説でも紹介した、伝説のバンドQueenのボーカル、フレディ・マーキュリーの伝記映画”Bohemian Rhapsody“を観賞してきました。伝説となったライブエイドでのパフォーマンスが後半のハイライトで、フレディ役のラミ・マレックの素晴らしい演技と、スタッフの熱意による映像は圧巻でした。

偉大なバンド、クイーンの伝記映画

Movix八尾のピアノ型オブジェ

Queenといえば、1970年代の世界3大バンドの1つであり、ロック史に残る偉大なアーティストです。このブログでは、Rock名盤解説“A Day at the Races”“The Game”をそれぞれ紹介しています。

今回、クイーンのリード・ボーカルで優れたフロントマンだったフレディ・マーキュリーの伝記映画”Bohemian Rhapsody“が公開されたので観に行ってきました。

毎月20日はMovixで映画が1,100円で観賞できるので、平日の昼にバイクでアリオ八尾に向かいました。ミュージシャンの伝記映画には、当たりが少ないので今回は見合わせるつもりでしたが、友人のミュージシャンが2人も絶賛していたので気が変わりました。

平日の昼なので、客の入りは期待していなかったのですが、半分くらい客席が埋まっていました。休日の昼間や、平日の夜間では満席に近くなっているのではないでしょうか。

日本では、2週連続1位となっているようです。そもそもクイーンは、イギリス本国よりも日本でのブレイクが早かったバンドで、メンバーも日本に度々訪れています。フレディは、日本の美術品や家具の収集家としても有名でした。

5枚目のアルバム”A Day at the Races“では、『手をとりあって』という日本語の曲も書いています(しかもアルバムの最後の曲!)。

※ここからはネタばれ含みます。

非常に高い再現度!

DF-10956_R – Gwilym Lee (Brian May) and Rami Malek (Freddie Mercury) star in Twentieth Century Fox’s BOHEMIAN RHAPSODY. Photo Credit: Alex Bailey.

 

冒頭いきなり、口ひげ姿のフレディが起床するシーンから始まります。ここにかかっていたBGMは、”A Day at the Races”から”Somebody to Love“です。ここから伝説の1985年のライブエイドでのライブに入るところで、過去に話は戻ります。

フレディが、美術学校での勉強を終え、アルバイトをしながら「イベックス」というバンドに入っていた時期のことだと思います。映画では、「イベックス」は登場していません。

1969年当時、クイーンの前身バンドである「スマイル」は、ギターのブライアン・メイ、ドラムのロジャー・テイラー、ベース・ボーカルのティム・スタッフェルの3人で活動していました。

スマイルがクラブで演奏していた曲は、クイーンのファーストアルバムの2曲目の”Doing All Right“です。スマイル時代の曲は、この1曲のみがファーストアルバムに収録されています。


フレディの最初のライブシーンで、マイク立てからホルダーごと引き抜くシーンがありました。これは、フレディの後のスタイルに繋がっていきます。この時の曲は、同じくファーストの1曲目、”Keep Yourself Alive“です。

いきなりティムが抜けて、フレディが加入したような描写になっていました。実際には、スマイルとイベックスは仲が良く、一緒にライブしたりセッションしたりしていました。ブライアンの幼い頃からの友人であるティムが抜けたので、フレディが加入し、1971年にベースのジョン・ディーコンが加わったのがクイーンです。

ちなみにフレディのガールフレンド、メアリー・オースティンの働いていた店でかかっていたのはクリームの曲です。クイーンのメンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーがこの映画の音楽プロデューサーをやっているので、クラプトン好きのブライアンあたりの選曲だと思います。

ここからバンドは、本格的に活動していくわけですが当時のロンドンでのバンドは、星の数ほどいました。そこから抜け出るためには、他と違うインパクトが重要だったのです。フレディやバンドは衣装やステージングを工夫していました。

また、ブライアンのギターもディレイを使って2つのアンプでステレオ感を出すなど、初期の段階で色々なことを試していたそうです。ジョンが電子工学科を卒業していて、機械に強くオリジナルの機材(ディーコン・アンプ)を使っていたことでも知られています。

映画では、当時使っていたバンドの車を売ってレコーディング費用にし、スタジオを借りてアルバムを制作している場面がありました。1970年代初頭は、レコーディング機材とエンジニアが必要な時代でした。現在のように手軽なレコーディングは不可能だったのです。

クイーンは、最初のレコーディングでは、ブライアンの友人のテリー・イードンによってウェンブリー郊外のスタジオの機材モニターとして無料で録音したとされています。映画の描写と違った話なのですが、実際にはどうなのでしょうか?機材の調達にかかった費用があったのかもしれません。

ここでも1970年代初頭の機材をそのまま使っていました。フレディが左右にパンニングする場面がありましたが、プロデューサー兼エンジニアのルイ・オースティンの仕事だと思います。

実はこの頃には、トライデントと契約していて、アルバム”Queen“の残り半分は、トライデントスタジオで録音されています。ぶっちゃけ、映画では細かい部分は端折っているので、あのまま録音されたように見えます。

ここでセカンドアルバムの”Queen2“から、”Seven Seas of Rhye“がかかります。この曲はアルバムの11曲目に収録されていて、シングルカットされた名曲です。セカンド・アルバムのヒットでクイーンは、徐々に認知されるようになっていくのです。

出典 https://blog.foxjapan.com/movies/bohemianrhapsody/

ボヘミアン・ラプソディの出演者

続くサード・アルバムの”Sheer Heart Attack“の2曲目”Killer Queen“も忘れてはならない曲です。ここでもBGMとして使われていました。そして、とうとうあの名盤A Night At The Opera“の制作場面となります。

“A Night At The Opera”邦題オペラ座の夜は、クイーンが全英で始めてNo1ヒットを記録したアルバムです。この映画でも、9曲目の”Love of My Life”や1曲目の”Death on Two Legs”がかかります。そしてアルバムのハイライトでもありこの映画のタイトルロールでもある”11曲目の『ボヘミアン・ラプソディー』が登場します。

ロジャーが何度もコーラスをさせられていた場面がありましたが、ベースの音が擦り切れるくらいまで多重録音をしたことで有名です。映画なので、ちょっとだけのように見えますが、実際には膨大な時間と費用がかかりました。当時のイギリスのアルバム制作費用としては最高額だったそうです。

ロジャー役を演じていたのは、ベン・ハーディーというイングランドの俳優です。ロジャーも本人にとてもよく似ていました。ロジャーとフレディは特に仲が良かったそうです。

EMIの重鎮が、ピンク・フロイドの”The Dark Side of the Moon“のことを持ち出していましたが、1973年に発表されたこのアルバムの評価がそれだけ高かったということです。

オペラ座の夜は1975年11月にリリースされています。おそらくクイーンのメンバーも、The Dark Side of the Moon(邦題は狂気)はかなり意識していたのだと思います。

一番俳優で似ていたのは、ブライアン役のグリィム・リーだと思います。雰囲気も含めて、あのまんま本人が演じているように錯覚しました。ブライアン・メイといえば父親と一緒に作った自作のギター「レッド・スペシャル」ですが、本物が使われていたのでしょうか?

レッド・スペシャルは様々なメーカー(ギルドを含む)がレプリカを製作しており、ブライアン本人も何本かレプリカを所有しています。他には、VOXのAC30などもちゃんとブライアン仕様となっていたと思います。

ただ、ここから結構時代が飛んで、1980年になってしまいます。1980年といえば、”The Game“でクイーンが全米を制覇した年です。このアルバムの5曲目”Crazy Little Thing Called Love“がかかり、80年代を強調するのですが、ここで時系列的におかしいことが2点あります。

1つ目は、この後”We Will Rock You“のレコーディング風景になるのですが、この曲は1977年の6枚目のアルバム”News of The World“の1曲目です。つまり、3年前の曲ということになります。

次にブライアンのサブギターとして、ギブソン・レスポールが描写されていますが、この時期はフェンダーのテレキャスターのはずです。というのもザ・ゲームのプロモーション・ビデオでブライアンがテレキャスを使用していたのは有名な話だからです。

初期のツアーではレスポール・デラックスがブライアンのサブ・ギターだったのは事実なので、ひょっとしたらツアーではレスポールを使っていたのかもしれません。他には、ギブソン・フライングVなども使用していました。

おそらく、映画の尺の都合上で”We Will Rock You”の描写がここに回されたのではないでしょうか。この曲はブライアンのアイデアが強調されるシーンがあります。次に、ジョン・ディーコンの曲、“Another One Bites the Dust”(ザ・ゲームの3曲目)がスタジオで披露されていました。

この場面は、徐々にクイーンの作曲者の1人として、ジョン・ディーコンが重要な位置を占めてきていたことを表しています。この曲での見事なベースラインと、ブライアンのカッティングは印象的ですので、ぜひ原曲を聴いてみて下さい。ジョン役は、ジョゼフ・マゼロというアメリカの俳優です。

ここから、マネージャーとの確執やら、フレディの苦悩などごたごたした話になっていきます。フレディはバイ・セクシャルだったようで、映画のように長年のパートナー、メアリの他に、ジム・ハットンという男性と1984年から付き合っていました。

こういうところは、エルトン・ジョンなど同じイギリス出身のミュージシャンとも共通しているところでしょう。男同士というのは、異性愛者である僕には想像できませんが、これも個性なので尊重します(汗)。

この間に、”The Works“の11曲目の”I Want to Break Free“のビデオクリップが流れたり、”Hot Space“の6曲目”Under Pressure“がかかります。80年代中期のアルバムの曲が流れる中、フレディのソロ作を転機にバンドの結束は崩壊しかかります。

圧巻のライブエイド

出典 https://blog.foxjapan.com/movies/bohemianrhapsody/

完全再現されたライブエイド

実際には、ロジャーも1980年代にソロ作を発表したりしています。その間にもクイーンとして活動していたので、あそこまで険悪な感じではなかったと思うのですが。ただ、史上最大規模のチャリティー・コンサートであるライブエイド以降、バンドの結束が戻ったのは事実です。

映画では、1985年にエイズが発覚したことになっていました。フレディは体調を崩しているという状態で、ライブエイドに臨むこととなります。

1曲目がボヘミアン・ラプソディーで、フレディの声をメンバーが心配している様子が描かれていました。しかし、フレディの声の調子が良かったことを確認すると、全員がヒートアップしていきます。

2曲目に”Radio Ga Ga“(ザ・ワークスの1曲目)、最後に”We Are the Champion“(世界に捧ぐの2曲目)で締めます。本当は、6曲やったのですが、細かいことは気にしならないほど、出来のいい映像でした!

ラミ・マレックにフレディの魂が乗り移ったような演技には感心しました!まるで本当のライブエイドを観ているような気分になりました。ここのシーンだけでこの映画を観る価値があります。

ライブエイドが終わると同時に2時間14分の映画は幕を閉じます。エンドロールで、フレディが1991年に亡くなったことが書かれていました。クイーンにとって最上のパフォーマンスと呼ばれたライブで締めくくったのは、とてもいい判断だと思います。

ちなみにエンドロールに流れていた曲は、”Don’t Stop Me Now“(世界に捧ぐの10曲目)と”The Show Must Go on“です。ショー・マスト・ゴー・オンは、フレディが存命中に参加した最後のアルバム”Innuendo“の最後の曲です。

ボヘミアン・ラプソディの監督は、ブライアン・シンガーですが、彼は3分の2を録り終えたところで降板しています。残りのパートは、デクスター・フレッチャーが撮りました。プロデューサーはグレアム・キングで脚本は、アンソニー・マクカーテンです。

クイーンのバンドとしての成立から、ライブエイドのライブまで、よくまとめた作品だと思います。最後が一番輝いていた時期で終わるのも良かったです。久しぶりにクイーンのアルバムを聴いていますが、やっぱり最高です!久しぶりに観に行ってよかった映画です。

※参考資料『クイーン 果てしなき伝説』ジャッキー・ガン&ジム・ジェンキンズ著 東郷かおる子訳 扶桑社刊

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